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〜第2章〜 The Lamb前夜 ピーター・ガブリエルの憂鬱



The Lambのリハーサルに入る直前、ピーター・ガブリエルは、いろいろな悩みを抱えていたようです。今回はThe Lambの制作に入る直前のピーター・ガブリエルの置かれた状況を見てみましょう。このときの彼の立場、メンバーとの関係、そして家庭問題の苦悩が、The Lambのストーリーに何らかの影響を与えたのではないでしょうか。


担当楽器がない!

ジェネシスの「ガブリエル時代」と良く言われますが、この時代も決してジェネシスはガブリエルのワンマンバンドでは無かったのです。それどころか、他のメンバーからはこんな風に見られていたのです。

ANTHONY:I think [Peter] felt a bit lost without an instrument, he didn't have a power base. He would come up with moments of genius and then stuff that wasn't genius, and he got shot down quite a lot. It was like he was assuming a position, rather perverse at times.
アンソニー:(ピーターは)楽器を持たずに少し迷っていたんだと思う。彼には力の基盤がなかったんだ。彼には天才的な瞬間もあれば天才的ではない瞬間もある、そして、何度も打ちのめされていた。彼はあるポジションを引き受けてるようなもので、むしろ倒錯していることもあった。

TONY:With Peter, whenever he introduced an idea it meant everything stopped for a bit, because he would have to sit down at a piano or something to demonstrate the idea. Whatever flow we had going seemed to disappear at that point and it made the whole process somewhat difficult.
トニー:ピーターの場合、彼がアイデアを出すってことは、ピアノか何かの前に座ってそのアイデアを実演する必要があるので、すべてがちょっと止まってしまうってことを意味するんだ。僕らがどんな流れを作っていても、そのタイミングで消えてしまうようになるんで、プロセス全体がやや難しくなってしまうんだ。

ANTHONY:For someone who was so articulate when he was acting, he couldn't articulate what he meant. A lot of the time he had these visions of arrangements and he couldn't get it across.
アンソニー:演技するときはとてもはっきりとしていたのに、彼は自分の言いたいことをうまく表現できなかった。多くの場合、彼はアレンジのビジョンを持っていたのに、それを伝えることができなかったんだ。

MIKE:Very soon after Pete left, his recording skills took off fantastically, but in our environment there was no room to breathe.
マイク:ピートが脱退した後すぐに、彼のレコーディングのスキルは素晴らしいものになった、でも僕らの環境の中では息をする余裕もなかったね。

Genesis and The Lamb Lies Down on Broadway

アンソニー・フィリップスのコメントがあるように、これはTresspassの頃を回想したメンバーの発言です。アンソニーが言う power base (力の基盤)とは、もちろん担当楽器の事で、これが無かったピーターは、バンド内でそれほど確固たるポジションではなかったということですね。フルートも吹いていましたが、イアン・アンダーソンほどの使い手でもなかったし、ピアノもそれほど得意でないので、自分のやりたい事をメンバーに説明するのも、時間がかかるし、トニー・バンクスにも嫌がられる(笑)

もともと、ピーターは、チャーターハウス時代の最初はドラマーでして、ジェネシスの母体となったバンド以前に、別のバンドにドラマーとして参加していたこともあったのです。ジェネシスがチャーターハウス在籍中にシングル盤でレコードデビューしたとき、ほとんどドラム経験がなかった同級生をドラマーに起用し、彼にドラムの手ほどきをしたのもピーターだったわけですが、フィル・コリンズが加入してからは、出る幕が無かったようですね。

PHIL: I’ve never heard Pete play drums so I only have his word for it that he’s a drummer... I guess that fear of having his security blanket taken away meant he used to hide behind his flute and his tambourine and his bass drum, but that bass drum was as loud as mine. This was before the days of miked-up drums, so I was supplying my own dynamics. Of course, with another drummer on my right using his own bass drum, a drummer who was quite excited and standing up, it was never going to be quite as tight as it should be, so we started to stuff things into Pete’s drum to make it quieter, and eventually you could see it moving but you couldn’t hear it.
フィル:僕はピートがドラムを叩くのを聴いたことがなくて、彼がドラマーだって自分で言うのを聞いたことしかない...。彼は自分の安心材料を奪われるのを恐れて、フルートとタンバリンとバスドラムの後ろに隠れていたんじゃないかな。でも、そのバスドラムは、僕と同じくらいデカい音を出してたんだ。まだドラムにマイクを入れる時代ではなかったので、ダイナミクスは自分で調整していた。もちろん、いつも僕の右隣には自分のバスドラを使っているドラマーがいて、そのドラマーはかなり興奮していつも立ち上がってるんだ。これだと、なかなかタイトな演奏にならないんだよね。それで、ピートのドラムにいろいろ詰め込んで音を小さくしていったら、そのうち、動いているのは見えるけど、音は聞こえなくなったんだよ。

Genesis Chapter & Verse

また、フィルはよくスティーブ・ハケットにこうぼやいていたのでした…

Imagine if they got another guitarist who's only got an E-string and he was playing that all night…
想像してくれよ、もしE弦しか持ってないギタリストがもう一人いて、そいつが一晩中E弦を弾いてたら…

My Book of Genesis 

ライブでのあのバスドラすら、フィル・コリンズには邪魔扱いされて、しまいには音が出ないように細工されてしまうとか(笑) なんか可哀想ですが、実際のバンド内で、power baseを持っている他のメンバーとの力関係を物語るエピソードなのです。

Anthony:He had this thing about all the thick chords we were playing, we all loved chords and chord sequences and there were loads of them, everyone playing at once, and I think he was ahead of his time in the respect of the way he was always trying to break it down. (Russell, 2004, p. 199)
アンソニー:彼は、僕らが演奏しているすべての分厚いコードにこだわっていたんだ。僕たちはみんなコードやコード・シーケンスが大好きで、それがたくさんあって、全員が一度に演奏する。彼は常にそれを分解しようとしていたんだ。その点は、時代を先取りしていたんだと思う。

Genesis and The Lamb Lies Down on Broadway

もちろん、アンソニー・フィリップスがフォローしているように、彼の天才性は皆の認めるところだったはずですが、当時のスタジオ内では、ピーター・ガブリエルが他のメンバーを引っ張るみたいな感じはあまり無かったということのようなのです。

そして、こういう意識が、Selling England By The Pound の時の、選曲論争に現れたのだと思います。このアルバムの制作最終段階で、曲数が当時のアナログLPの常識では多すぎるということになって、どの曲を落とすかが議論になったとき、ピーター・ガブリエルは、あの Cinema Show の後半インストゥルメンタルを「ジェネシスらしくない」と言って削除することを主張したのです。これに対して、この曲を作ったバンクスとラザフォードが猛反発して、バンクスは、スティーブ・ハケットが主な作者だった After The Ordial(これもインストゥルメンタル)を「自分のピアノバッキングが似非クラシックっぽくて気に入らない」という理由で削除を主張します。もともと議論になると、ピーター&スティーブ、バンクス&ラザフォードがタッグを組む傾向が強く、その間をフィルがとりなすみたいな感じによくなっていたそうですが、まさにこのときがそうだったわけです。ただ、この問題はどうしても折り合いがつかずに、どちらも収録という玉虫色の決着となり、その結果LPの片面が30分近くにもなってしまい、リリース当初アナログLPの音質が悪くなってしまったのです。

もともとTresspassの頃から、ピーターはバンド内でこのような割と微妙な立ち位置だったようですが、Selling Englandの頃になると、さらに楽器隊のメンバー全員の演奏力がものすごくアップしていたのですね。だからこその Cinema Show 後半のインストゥルメンタルだと思うのですが、そのことに対して、ガブリエルは自分の居場所がさらに削られたような居心地の悪さを感じていたのではないでしょうか。だから「ジェネシスらしくない」とか言い出したのではないかと思うのです。

フロントマンに対する誤解

そもそも、ピーター・ガブリエルという人は、普段ものすごくシャイな人なのだそうです。それが、ステージに上がると、とてつもないパフォーマンスをするのです。これは、ピーターがいたチャーターハウスの寮の舎監も証言しているので、そもそも持って生まれた性格なのだと思います。

彼はどんな音楽でも楽しんでいました。素直なとてもいい声をしていたのをよく覚えています。普段はおとなしいんですけど、ひとたびステージに上がると、我を忘れてしまうんですね

ピーター・ガブリエル(正伝) / スペンサー・ブライト 岡山徹訳


そして、そういう「ステージ上での過激な性格」が、後にあの奇抜な衣装に結びつくのです。ピーターが最初にかぶり物を披露したのは、Foxstrotツアーで訪れたアイルランド(ダブリン ナショナル・スタジアム)でのギグでのことでした。ピーターは、Foxtortのジャケットに描かれた赤いドレスのキャラクターをバンドメンバー誰にも相談せずに、突然自らステージ上で再現したのです。

これはもともと、ある関係者がピーターに「人を雇ってアルバムジャケットのキャラクターをステージに上げたらどうか?」という提案をしたことがきっかけで、これをピーターが自分でやることにしたというのが発端なのです。

PETER:But then I thought, ‘Right, I'll try putting that on, I'll see if I can get a fox’s head made,’ because I thought I should be the person dressing up rather than a stunt person. And my wife Jill had this red dress in her cupboard, which, believe it or not, I could get into.
ピーター:「そうだ、それを着てみよう、キツネの頭を作ってもらおう」と思ったんだよ。というのも、スタントマンよりも、自分が着飾った方がいいと思ったからね。妻のジルの赤いドレスが戸棚にあってね、信じられないかもしれないけど、それを着ることができたんだ。

Genesis Chapter & Verse

MIKE : Pete was very wise. If hed asked us we'd have said no. Put to the panel, it would never have got through.
マイク:ピートは賢明だったよ。もし、僕らに問われていたら、ノーって言っただろうからね。合議してたら、絶対に通らなかったよ。

Genesis Chapter & Verse

TONY: I don’t know why Pete chose this particular gig, perhaps because it was in Ireland, and he thought he could probably could get away with it a bit more. It was a shock, this apparition coming towards me in a fox’s head and a dress. I thought ‘Christ!’ but carried on playing, a true professional... and the audience loved it. Even more importantly a picture of him in this bloody fox’s head was on the front page of Melody Maker the following week. Hey, this is interesting. Because we knew we had difficult music to get across, and with no TV, no national press, no singles, what do you do? You need something more than just music to attract a bigger audience. Suddenly this lifted us out of the general rank of people.
トニー:ピートがなぜこのギグを選んだのかはわからない。おそらくアイルランドだったから、彼はちょっとはうまくやれると思ったのかな。キツネの頭にドレスを着て、僕のほうに近づいてきたときは、ショックを受けたよ。「何やってんだよ!」と思ったけど、真のプロとして演奏を続けたよ...そしたら、観客は大喜びだったんだ。さらに大事なことは、このクソみたいなキツネの頭をかぶった写真が、翌週のメロディーメーカーの表紙に掲載されたことなんだ。おい、これは面白いぞって。自分たちの音楽を伝えるのは難しいとわかっていたからね。テレビもない、全国紙もない、シングルもなしで、どうすりゃいいんだ?ってね。より多くの聴衆を惹きつけるためには、音楽以上の何かが必要だったんだ。突然、これが僕らをワンランク上に引き上げてくれたんだよ。

Genesis Chapter & Verse

こうして、ピーターのこの奇抜な衣装は、ご存じのように、逆モヒカンの髪型とか、怪しいメイクなども伴ってどんどんとエスカレートするのですが、バンドのメンバーも認めているように、これがきっかけとなってジェネシスの知名度が上がり、ライブの動員などに明らかな影響があったのです。

ところが、これが進んでいくにつれ、別の問題が生じます。マスコミがバンドではなく、ピーターだけに注目するようになってしまったのです。以下はフィル・コリンズのコメントです。

to a lot of people, it's been just Peter and a few guys playing his music
多くの人にとっては、ピーターと数人の男が彼の音楽を演奏しているだけなんだ

when people come backstage after a gig, ignore everybody else, go up to Peter and say 'Amazing show man - really dug your music'. 
ギグの後、バックステージに来た人たちが、他のメンバーを無視してピーターのところに行き、「素晴らしいショーだ - あなたの音楽は本当に素晴らしい」って言うんだ

The Lamb Lies Down on Broadway (Genesis 1974-1975): History of the Enigmatic Cult Album

こうして、1974年の初頭、彼らがまだSelling Englandのツアーを行っている最中に、バンドはガブリエルの単独インタビューを禁止するというアナウンスまで行うのです。当時このことを問われたトニー・バンクスはこう語っています。

In the last two years, almost every interview had revolved around his costumes, while the rest of the band received no attention at all.
この2年間、ほとんどすべてのインタビューが彼の衣装を中心に展開され、バンドの他のメンバーはまったく注目されなかった。

The Lamb Lies Down on Broadway (Genesis 1974-1975): History of the Enigmatic Cult Album

ピーターのバンド内での立ち位置は、実際はそれほど強固なものではなかったのに、こうしてバンドの知名度がアップしていくにつれて、今度はピーターひとりだけが有名になり、「ジェネシスはピーター・ガブリエルのワンマンバンド」というイメージが拡散、定着してしまったのです。そして、この状態にバンドの他のメンバーのフラストレーションが溜まっていったのです。


妻ジルとの不穏な関係

ステージ以外ではシャイで静かなガブリエルだったようですが、女性関係には案外早熟だったのでした。まあ芸術家ですからね(笑) 最初の奥さんジルとは、チャーターハウス時代に出会っているのです。級友で後のツアーマネージャーであるリチャード・マクファイルの回想です。

On the one hand, he was ridiculously shy and a bit of a mumbler but on the other hand, he completely knew his own mind. The first time I really became aware of him was at another hop where Anon was playing and he turned up with a girlfriend. To have a girlfriend was pretty much unheard of for boys at Charterhouse.
(ピーターは)とんでもなくシャイで、ちょっとブツブツ言う奴だったけど、もう一方では、自分の心を完全に理解していた。僕が初めて彼を意識したのは、アノンが出演していた別のホップで、彼がガールフレンドを連れて現れたときだった。チャーターハウスの男子にとって、ガールフレンドを持つことは前代未聞のことだった。 

My Book of Genesis

このガールフレンドが、最初の奥さんであるジル・ムーアなのです。このときピーターは15歳。ジルは、チャーターハウスの姉妹校のような関係だったセント・キャサリンという学校の生徒で、何か学校行事のようなもので知り合ったらしいのですね。

ところが、このジル・ムーアの父親は、イギリス王室に務める人物で、彼女の家はたいへん厳格な家庭だったそうです。そして、後にジルの父親から結婚を反対されるのです。

Even his father-in-law Philip Moore, then the Queen's deputy private secretary, is said to have been initially opposed to the marriage of his daughter Jill to Gabriel, mainly because he even considered the singer schizophrenic in view of his so different sides.
当時女王の副私設秘書だった義父のフィリップ・ムーアでさえ、当初は娘のジルとガブリエルの結婚に反対していたと言われている。その主な理由は、彼のあまりに異なる側面から、この歌手を統合失調症とさえ考えていたからだ。

The Lamb Lies Down on Broadway (Genesis 1974-1975): History of the Enigmatic Cult Album

つまり、「ステージ上での過激な性格」と普段との落差があまりにも激しく、不安に思われたということなのですね。ところが、これを何とか乗り越えて結婚するわけですが、ピーターは妊娠中のジルに裏切られるわけです。

これはSelling Englandのツアーでアメリカを訪れていたときの出来事です。ジルはこのツアーに一緒に付き添っていたのでした。ジェネシスというのは、ここが珍しいバンドでして、それ以前からずっとメンバーはガールフレンドや奥さんをツアーに帯同することを普通に行っていたのです。そして、Selling Englandのアメリカツアーに同行していたジルは、妊娠中であるにも関わらずピーターもよく知っているローディーと不倫関係となるのです。後にジルはこの不倫を"my pathetic little bid for attention(私の哀れで小さな注目集め)"と表現し、下記のように発言しています。

I got very twisted about it all. Very bitter and then I had an affair. It was at the beginning of my first pregnancy, I was feeling really down like you do at the beginning. Every night I would go to the concert and there were always these beautiful girls hanging around …
私はそのことで、とてもひねくれてしまった。とても苦しくなって、浮気をしてしまった。最初の妊娠の初期だった、最初の頃は本当に落ち込んでいた。毎晩コンサートに行くと、いつもきれいな女の子たちがたむろしていて...。

The Lamb Lies Down on Broadway (Genesis 1974-1975): History of the Enigmatic Cult Album

要するに「普段のピーターに不満があり、自分を振り向かせるため」みたいな事だったのですね。

Remarkable in this context is also a statement by the same Jill, who reported in a later interview that she was disappointed that her husband had never really been able to bring his fascinating stage persona, which had turned her on so much, into their private life together. It was only over the years, with the help of various therapies, that the singer succeeded in integrating more and more elements of his stage persona into his everyday personality. By doing so, he step by step managed to overcome his plaguing personal fears and inhibitions to some extent.
この文脈で注目すべきは、同じジルの発言だ。彼女は後のインタビューで、彼女を興奮させた魅力的なステージでの人格を、夫が私生活に持ち込むことができなかったことに失望していた、と報告している。さまざまなセラピーの助けを借りて、シンガーは何年もかけて、ステージでの人格の要素を日常生活にどんどん取り入れることに成功した。そうすることで、彼は一歩一歩、個人的な恐怖や抑制をある程度克服していった。

The Lamb Lies Down on Broadway (Genesis 1974-1975): History of the Enigmatic Cult Album

こうして、まさにThe Lambの制作に入ろうとしていたそのとき、ピーターは、妊娠中の奥さんが自分の友人でもありスタッフでもあった人物と不倫関係にあること、そしてその原因はどうも自分の性格やバンドでの仕事にあることを察して苦悩するわけです。この夫婦の危機はなんとか乗り越えて、ピーターは新作の制作に向かい、次はそのレコーディング合宿中に奥さんは長女を出産することになるわけです。ところが、これが大変な難産で、生まれてきた子どもはしばらく生死をさまようような状態となるという、また別の試練に直面するわけです。

ちなみに、ピーターはこの自分の性格については、何とかしたいと思っていたようで、ジェネシスを脱退した後になっても、ジルと一緒にESTなるセミナーに参加したりして、性格改善などに努めたほどだったのです。

バンドの多額の負債

ジェネシスのマネージメントは、当初所属するカリスマレコードの社長、トニー・ストラットン・スミスが直接務めていました。そこに、もうひとり、リチャード・マクファイルというチャーターハウスの同級生も、ツアーマネージャーとして参加していました。彼は、「アノン」という、アンソニー・フィリップスとマイク・ラザフォードが在籍した校内バンドのボーカリストだった男で、ピーター・ガブリエルがボーカルとなってからは、バンドのサポーターとしてずっとバンドを支えた人物です。1stアルバムが惨敗した後、マクファイル家が所有していた別荘(Christmas Cottageと言われる家)で半年間もの合宿を行ったときは、食事の世話やギグに出かけるときの運転手などを務め、裏方としてバンドを支えた人物でした。また、アンソニー・フィリップスが脱退した際、動揺するメンバーを励まして、バンドを存続させたのも彼なのです。そうして、そのままFoxtrotのアメリカツアーの時期まで、彼がジェネシスのツアーマネージャーを勤めていたのでした。

ところが、アメリカでツアーをやるまでに成長したバンド、ジェネシスのマネージャーとしては、残念ながら力不足は否めなかったのでした。またトニー・ストラットン・スミスも多忙を極め、バンドのさらなる成長のためには、もっとプロフェッショナルなマネージャーが必要となったのです。

この結果新マネージャーとして起用されたのが、トニー・スミスです。カリスマレーベルの社長、トニー・ストラットン・スミスとは同姓同名の別人です。トニー・スミスは、親子二代にわたるマネージメントのプロフェッショナルで、この時点で、レッド・ツェッペリンなどの大物のマネージメントも手がけたことがある人物でした。後にバリライト開発のキーマンとなったのも彼でした。まさにビジネスを仕切れる敏腕マネージャーがこのときからジェネシスを担当するようになったのです。

ところが、トニー・スミスがバンドのマネージメントをするようになって、明らかになったのは、バンドはカリスマレーベルから多額の負債を負っていた事実です。アルバムが大して売れない、ライブの集客もそれほどでもない状況なのに、彼らはレコーディングや、ライブでの演出などにこだわって、多額の出費を続けていたのでした。挙げ句に、72年頃のアメリカツアーでは、経費の領収書が全く保存されておらず、過大に見積もられた利益に英国の高率の税がかかって大損するとか、とてもビジネスとは言えないような状況だったわけです。もちろん、これを大目に見ていたトニー・ストラットン・スミスの温情でここまで来ていたわけですが、当のバンドメンバーは、この事実はほとんど知らされてこなかったのです。

こうして明らかになった負債総額は、何と20万£(当時の1£=¥680換算で1億3600万円)もあったのです。

We are not a poor !..l, but a bankrupt band !..
俺たちは貧乏なバンドじゃない!… 破産したバンドなんだ!…

The Lamb Lies Down on Broadway (Genesis 1974-1975): History of the Enigmatic Cult Album

この自虐コメントは、スティーブ・ハケットのものですが、他のバンドメンバーも、この事実に相当なショックを受けたのでしょう。

一方、トニー・スミスが初めてマネージメントしたSelling Englandのアメリカツアーはかなり好評で、動員も伸びたのです。そして、バンドメンバーは、次のアルバムが(特に)アメリカで成功すれば、この負債が返せるのではないかという希望が見えはじめた状態だったのでした。



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