見出し画像

夢のスリーポイントへ


女子レンジャー部隊の入隊試験を見ていて

三日坊主とバスケでいじめられたことを思い出した。

いじめたやつは覚えちゃいないだろうが、虐められたほうは、

生涯忘れないだろう。

三日坊主とは、四日目には入門が許されて門内へ入れる。

三日間門前で正座をして、待つだけであるが、それは耐え難い

状況だろう。

なぜなら、寝ずの番のようなものだからである。

その多くは、三日目で諦めさせられて、郷に帰されるのである。

女子レンジャーも同様に、無理なら帰される。

自然淘汰のようでもある。

考えさせられる、しかし、そうしなければならない理由もあるのだろう。

中学生だと一年と三年では、大きく違うから、

一年生から見たら怖い存在である。

身長143cmの私から見た、172cmの先輩は大人である。

その時、178cmの同年生がいた、彼は中学時代は特別扱いだった。

一年から、体育館で二年生以上と練習していた。

だから、僕らのようにしごかれたことはない。

体が大きいからそれだけで、得する時代だった。

しかし、試合ではいつも痙攣して、途中でベンチに戻ることが、

何度もあった。と記憶している。
確かに、その存在は味方としては優位だったのだろう。

他のチームは、彼をマークするが、僕らは彼以外は目的を持っていた。

それは、負けたくないという、贔屓に対する負けん気だったと思う。

恥ずかしい話だが、スラムダンクの花道のような身長もなければ、

田伏や富樫のようなガードでもない、普通のシューティングフォワードが

マシンと言われるようになるまでの話です。

つまり、下手くそであった私が、バスケの神様と遊んだ記録でもあります。

一学期の思い出

バスケ部?

振り返ると、I が『何部に入る?』と聞かれた。

『陸上部だよ』と答えた。

『そんなの辞めて、バスケに来いよ』という。

『なんでだよ』と答えた。

『いいから来いよ』と、しきりに誘うで、ついていった。

走ることには自信のある私だから、陸上部を選ぼうとしていたが、

部室が分からないのと離れていたために、すぐ近くの体育館に

連れていかれた。

そこにいたのは、知り合いの先輩でキャプテンをしていた人が、

バスケの良さをアピールしてきた、思い起こせば、

旨く騙されたものだった。

それは、バスケだけが大会が四回あって、他の部活では無いというのである。

その言葉に、釣られて入ってしまった。

どうでもよいが、嘘であった。
嘘から出た真のようだが、僕らは四回出た、そして、三回優勝した。

信じるということは、凄いことだと思う次第です。

先輩たちは、きっと信じていなかったのでしょうね。

四回大会に出たことがないからね。

話は戻って、

入部して、初めてグラウンドに行った、

30人以上の一年生がいた、女子も含めれば60人くらいになる。

それを、先輩の二年生がグループに分けて、

それぞれ教えるのである。

何にも知らない私は、言われるままに、ボールを扱うが、

毬つきくらいに思っていたから、不器用だったと思う。

ドリブル、パス、シュートがあるが、どれも満足にできない。

当然である、スイカのようなでかいボールを扱ったことがないからだ。

ドリブルをしていて、横の友達を先輩がうまいと言っている。

よく見ると、ボールが手についているように見える?

真似してやってみた。なんとなく、出来たように思えた。

パスは、種類があるようだ、

チェストパス、バウンズパス、ショルダーパス、

ランニングパス、トライアングルパス、スクエアパス、

フットワーク

これが、虐めでもある、何かというとフットワークをやらせれた。

これも、種類がある、
オフェンス、ディフェンス、一足飛び、アヒル、うさぎ跳びなどがあった。
これらを毎日こなすのが、一学期の課題だった。

一学期が終わるころには、30人が10人くらいに減っていた。

(このころ辞めたやつが、僕らが優勝したもんだから、自分の事のように
一緒にバスケやってたんだ、と言うらしい。)

そのころには、体もだいぶ慣れてきていた、それに伴い身長も

伸び始めていた。

143cmから148cmを超えた。

夏休み、水泳のシーズンだ、泳ぎも大好きだからプールに行って

泳ごうと思っていたら、プールに行ってはいけないと、

また、アホな先輩が言うのである。

水を飲むなとか、今ならトンデモであるようなことを

平気で言うのが、アホな先輩である。

しかし、この辺のところは花道に似ているように思うところがある。

それは、先輩の言うことを信じないところだ。

それは、一番意地の悪い先輩が上手くないことを知っていたからです。

自分が下手だから、当てつけに下級生を虐めていたのだろう。

でも、その先輩は後で仲良くなる、そう、彼が早生まれであるから、

年齢は同じだと知ってからだった。

たった二か月先に生まれただけで、鬼のようにいじめられたからです。

それと、先輩たちが成しえない優勝という栄冠を手にしたからかも知れないです。

色んなやつがいた、彼らはシュートやパスが上手にできていた、上手いと思った。
しかし、
一人、二人と辞めていく、なんで辞めるのか考えられなかった。

だって、四回大会に出るつもりでいたから、

辞める気はなかった。

でも本当は、四回は普通は無理なんだと知ったのは、

夏休みに入るころ、市内大会が始まる。

その前に、6月ごろにも、大会があったが、女子は優勝していたが、

男子はベストフォーで終わっていた。

なんで、女子が優勝するのに男子は優勝したことがないのだろうと思っていた。

結局、夏の大会で女子は優勝した。男子はどうでもいい。

優勝しなかったことだけは、記憶にある。

ここで、初めて優勝しないと四回目がないことを知った。

四回目は、県大会だったのだ。

県内の中学生が一番を競うのだ。

応援団も凄い、そのころでは最高の大会だからだろう。

女子は、準優勝だった、前年は優勝していた。

なぜか女子は、連続して市内を制圧していた。

僕らの時の女子はある意味運がなかったと思う。

二位、優勝、二位という優勝に一番近いところにいたからだ。

一年先輩は、男女ともに、敗退だった、女子は二位、男子はベストフォーだった。

記憶が戻ってきた。

夏が終わり、二年生が体育館で練習を始める、

一年生は、相変わらず外でいつものルーティンをこなす。

そのころから、自分のポジションを考えるようになる、

また、先輩たちがいなくなるので、自由になるから

仲間同士のコミュニケーションも深まります。

練習が終わると決まって、先輩のお小言があります。

なんでくだらないこと毎日言うのかわからないから、

ほとんど聞いていなかった、ボケやろうと思いながら見ていた。

僕らは、なぜかそういうバカげたことは殆どやらないでいた。

そんな、暇はなかったのが本音である。

そういう意味では、後輩は楽して良かったのだろう。

上も下も考えたことがなかった。

自分たちが如何にして四回目を手に入れるかが、

優先していたからだ。

でも僕らを見ていた後輩たちも、運よく四回目を手に入れられたが、

県では優勝はできなかった。

女子は三回ともベストフォーに落ちていた。

思ったとおりである。

先を急ぎすぎましたね。

一緒に練習をしていると見えてくるものがある。

それは長所や弱点である。

先輩の長所も弱点も見えてくる。

後輩たちも同様に、長所も弱点も見える。

それがわかるようになれば、後輩にしてやられる時もあるが、

それが、その後輩の長所だと見れば、弱点を探す。

そうやって切磋琢磨していくのだ。
阿呆な奴らは、そういうところを考えていない。

だから、後輩にも基本は教えるが、それ以上はあえて教えない。

二年生になって、夏休みの後、すぐに新人戦というのがあった。

女子は、二位だった、と先ほど言ったが、

僕らは、ベストフォーだった。

しかし、負けた気はしなかったが、結果は再々延長で、

一点差で負けました。

その原因は、私にありました。

後半残り時間3秒同点から二点入れられて二点負けの状態から、

エンドから例のセンターから、ロングパスが来た。

後ろ向きで振り返りながら、ジャンして空中で受け取り、

振り向きざまに、そのままツーハンドでショットしたボールは、

ホイッスルとともに、バスケットゴールに吸い込まれて、

同点ゴールを決めた。

延長である、ここでも決着はつかず。

さらに延長に入った、先に入れたほうが勝ちというルールだった。

行ったほうがよかったかどうかはわからないが、

シュートカットに行ってしまった。

案の定ハッキングをとられた。(やってしまったと思ったが済んだことになっている)

そのあとフリースローで一点取られて決着がついた。

相手は国立の中学、という不思議な中学である。

そことは、三回とも当たった。合計で三勝二敗(大会で一敗二勝、練習試合で一敗一勝、練習試合の負け試合には私が出ていない)で勝ち越しているが、

(自分としては、三勝一敗だと思っている。)

どの試合も常に大接戦だった、お掛げで他にも負けたことがない。

つまり、ベストフォーで決勝戦のような試合をしているのだから、

決勝戦もいつも同じ中学だったがこれも、大接戦で勝たせてもらっていた。

簡単には四回目は手に入らないんだよね。

だから、負けない試合を作れる様になったともいえる。

先輩にも、後輩にも教えなかったこと。

三つの秘密

一つ目は、どうしたら負けないようになれるかと考えること。
同じ年で、同じだけの時間の練習、思いは同じ、それは優勝すること。
だとすれば、これにどれだけプラスできるかという点だ。

そこで、自主トレを始める。

二つ目は、決め技を作ること、絶対的決めるフォーメーションを
各自三つ以上考えて、それをルーティンとすること。

三つ目は、優勝以外に勝ちと言えないことを身をもって知ることだ。

そして、勝って見ることだ、勝つことを知れば、負けない方法を
チームが自然体で作り出せる。

このようなことを二年の新人戦の後に決めて実行しました。

三つの呪文は、神様との約束みたいなものだった。

どうしても、負けたくないから、俺たちは負けたことがない、
という呪文を心の中で繰り返していたのは、チーム全員の
合言葉でもあった。

高校では、阿呆な先輩と阿呆なチームメイトでは、勝てないことを知った。
いい経験にもなった。

そこで、先輩にも同輩にも教えた方法で教えきれなかった事を
母校の中学に行って試すことにした。
僕らは自分たちで考えて遣ってきたが、教えてできないものかと考えていた

ある意味実験台でもある、丁度恩師が転勤になり、不慣れな女子教員の英語の先生だった
こともあり、難なくコーチをやらせてもらっていた。

高校三年生の時である。

新人戦の後で、女子は強かったがもっと強くしないと県では勝てないと思い。
秘策を授けた。彼女らはルーティンをこなし続けた。レジェンドになるような女子も誕生した。

男子はまたもやベストフォーで終わっていた。

マンネリした部に成り下がっていた。

そこで、見ているうちに上手くはないが、大人びた生徒が目についたので、
すこし、教えた。
やる気があるから、本音を聞だしたら、勝ちたいというので、

キャプテンを入れ替えた、そして、基本から教え始めた。

三つの秘密の
二つを教えた。自主練は本人次第だから無理にはやらせなかった。

勝つことの意味を知り、決め技を持てば、市内は何とかなる。

では、県では何が必要かは、心だという事だ。

高校のチームでも、後輩でも心の弱い奴が、一人いるだけで、

負けてしまう。負け犬根性というやつだ。

だが、市内大会を男女優勝させることができた。これは、快挙である。

県では、女子の優勝、男子ベストフォーという結果だった。

以後常勝軍団が出来上がった。

私に続き後輩たちが、優勝を撮り続けた行くのだ。

先輩たちがなしえない事を覆すことは、

内制止を外すようなものである。

今の日本は、内制止の外れた状態が起きている。

日本人の心を取り戻すには、スポーツで発散することだろう。

次のオリンピックでは、大いに金が増えると思える。

スリーポイントがあれば、僕はスリーポインターと言われたことだろう。

余談であるが、ワンエンドボックスを仕掛けれられたことがある。
その時のシュートはコーナーいっぱいの所からのノータッチシュートだった。
今ならスリーポイントである。
それでも、二〇点以上入れた。

この時は、仕掛けられたが、仕掛けたこともある。
そして、普段四〇点入れるシューターを四点で抑えた。
当然チームは勝ちましたよ。

ここで一旦休憩します。

続きはまたの機会に。

次は、シュートが入るようになる秘訣
NBAも普通にやっていることだが?

決め技を作るフォーメーションの秘訣

フットワークの大切さと秘訣

GPSパスのコントロールする秘訣

正確なロングパスの秘訣

ボールを自在に操る秘訣

勝てないコーチもいるという事を知る事で勝てるコーチになれる秘訣

それは、勝つチームはいつも勝つという事だ。
負けたことがあるから、勝ちの意味も大きくなることを知る秘訣

などの秘訣を教えた方法と結果を綴ってみたいと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?