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暗闇のトンネルの先に

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
元気ですか?笑えていますか?今日も楽しく過ごせましたか?

わたしは、わたしに戻りました。
純粋なわたしに、やっと戻ってこられたような気がしています。
今日は、そんなわたしのお話を書こうと思います。


迷い込んだトンネル

ずっと、分かりませんでした。
なぜわたしはわたしをこんなに肯定してあげられないのか。

反省して、泣いて、また前を向いて、自分のお尻を叩いて、必死で日常にしがみつく。

やりたいこともある。
恵まれた環境もある。
素敵な人も周りにいる。

なのに、どこか満たされなくて、
なぜ満たされないのかがわからなくて、
何をやっても、誰に聞いてもダメでした。

いつからだったかな。
たぶん、きっと、大学を辞めてからそうだったのかもしれません。
でも、こんなに虚無感や自己肯定感の低さを実感し始めたのはここ最近です。

「またできなかった」
「また指摘された」
「なんで直らないんだろう」
「なんで直せないんだろう」
「自分のここを改善しないといけないからだ」
「次は同じことを繰り返さないようにこうしてみよう」

こういうふうに、ずっと自分を痛めつけるような、
痛めつけて、前を向かせて、再び走らせるような、
そんなやり方で走り続けていたのだと思います。

もちろん、周りの大人のおかげで、優しさのおかげで、
着実に自分のスキルや経験値は蓄えられています。
できることも増えました。
誰かの役に立てることも増えました。

でも、わたしがどこかへいなくなっていました。
そこにはいつも、誰かからの評価しかなくて、
わたしからの自分への評価がなくなっていたんです。

それにはきっと理由があります。
「仕事」というものを介して得る評価しか受け取れない環境に身を置いていたからだと思います。

仕事の評価=自分の評価

プライベートで仕事も何も関係なく関わる人が、わたしにはあまりいません。
大切な友人はいるけれど、普段からあまり連絡を取るわけでもなく、仕事に熱中し始めてからは特にプライベートでわざわざ人と会う時間をとることは減りました。

だからこそ、仕事を通して得る自分への評価が、そのまま自分の評価になっていたんだと思います。

学生時代は、勉強を通して(世間から)得る評価にプラスして、友人や彼氏、バイト先の人、家族から受ける評価など、いろんな評価がありました。
たとえば、勉強でうまくいっていなくても、バイト先で新しい仕事を任せてもらえたり、友達と語り合う中で自分の存在意義を明確にしてもらうような言葉をもらったり…「自分への評価」を1つの視点からではなく、いろんな場所から受けられる環境でした。

それがいつしか、熱中できる仕事が見つかり、周りにいる人のほとんどが仕事関係の人で溢れるようになり、日々話す内容も仕事の話ばかりになりました。

あれだけ自分大好き星人だったわたしが、みるみるうちに自信を失い、覇気がなくなり、熱量が消え、しょぼくれた人間になっていたのは言うまでもなくこの状況が引き起こしたものでした。

「もっと自信を持っていいのに」
そう言われる場面が本当に増えました。学生時代はどこから出てくるかもわからない根拠のない変な自信しかなく、危機感のないやばい人だったわたしが、です。

つい最近の話。
フリーランスに戻ったタイミングでたくさん受けた数あるカジュアル面談でも、話した相手からの懐疑的な表情を毎回見るハメに。
「この子は結局何がしたいんだ?」
「自分のこと、ちゃんと理解できてないなこいつ。」
きっとそう思われていたのだと思います。

1番記憶に残っているのは、ある社長さんから頂いた
「あなたって、自分のこと嫌いでしょ。」
という言葉です。

今考えればまさにそうなのですが、
その時は「ううん、だってわたしは自分で人生を選択してきたと自信を持って言えるし、自分大好きマンなはずだもん。」と思っていました。そう答えました。
でも、全くもってその社長さんの言葉通りなんですよね。

誰かからの評価が100%になっているから、
自分が自分のことを「すごいね!」なんて褒めてあげられなくなってしまった。
自己肯定感が全く持って0でした。

たとえ、誰かから褒められようとも、満たされないんです。
だって自分は自分を褒めてあげられないから。

褒め方が、わからなくなっていたから。

10年前のわたしからの手紙

そんな時、10年前の12歳わたしからお手紙が届きました。

字がギャル

ホントに10年前のたった12歳の、小学6年生が書いた文章なのかと目を疑いました。
ですが、なぜかとんでもなく心に響いて、ざわざわして、落ち着かなくて、感情が溢れて、とまらなかった。
1つ1つの文字を読み進めるごとに、涙が留まらなかった。

人生、自分でつくるもの。
次へ次へ進まなきゃ!
自分で決断してね。楽しくて悔いのない人生に。
自分を信じて。

自分を見ろ。
自分の声をもっと聞け。
自分で自分を愛せ。

そう10年前のわたしに言われた気がしました。
「自分」という文字を見るたびに、涙がとまらなかった。

いつしか分からなくなっていた
自分のすごさ。
自分の美しさ。
自分の信念の強さ。
わたしの大好きなもの。
わたしの大好きな人。
わたしが愛するわたし。

「わたしはすごいんだ」
「自分は愛されるべき存在なんだ」

そう思えるわたしが、帰ってきたような気がしました。

本当の自分って

これは少しスピリチュアルな話になってしまいますが…

私はよく、占い師さんや年長者の方に会うと
「魂がすごく歳を重ねているね。長い間生きてきたんだね。」
と言われます。

たしかに、周りの人と比べると、考え方や性格などはわりと年相応ではないなと今まで自分でも感じながら生きてきました。

歳を重ねた魂は、わたしの人生で何か成し得たいことがある。
(もちろんこれは誰の人生でも同じですが)

わたしの魂は、今までの長い年月の中で確立された「大切なもの」をすでに持っていて、その本来の姿を、わたしが覆ってしまっていたんだなと思います。

魂が成し得たい何かに辿り着くために、わたしがかけてしまったその余計なベールを剥がす必要があったのではないかと思います。

抽象的すぎて分かりにくいかもしれませんが、その表現が一番しっくりきます。

自分を、本来の姿を、見失うな。

そうわたしの内側から語りかけられるタイミングが、この手紙と共にやってきたのだなと思います。

わたしの苦手だったこと

だいぶぶっ飛んだ話になってしまいましたが、少し話を戻します。

社会人になってから、
「お前は『話す力』が極端に欠けている」
という評価を受けることがとても多くなりました。
(こんな直接的な言われ方はしてませんが笑)

自分でも感じていました。
なんでこんなにうまく話せないんだろう。

自分なりに何度も試行錯誤しました。

まずは徹底的に準備をする。
想定できる質問には相手と話す機会の前に必ず回答を用意しておく。
台本を作る。
必ず3回は通して練習して会議に臨む。

少しはマシになりました。

でも、わたし自身、「話すのが上手くなったな」とは少しも思えなかったんです。

周りにアドバイスを求めても、決まってみんなが言うのは
「場数を踏むしかないね」「慣れだよ、そんなもの後からできるようになる」

ホントにそうなの?
だって、場をうまく進行できるようにはなったけど、全くコツは掴めていないよ?
「話すのが上手い」の本質ってどこにあるのか全く分からないよ?
このまま場数を踏んでも意味あるの?

ただのひねくれ野郎に見えるかもしれませんが、ホントに分からなかった。
世の話上手さんたちと自分の圧倒的な差が
ただの「場数や慣れ」ではないことは一目瞭然だったから。

なぜ「苦手」だと感じるのかの答えは自分の中に

ここまでの話が、わたしが真っ暗闇のトンネルの中で、自分のことを痛め続けて走っていた時の葛藤です。

何回やってもうまくならない。
自分には向いていないんだ。
克服している未来も、そこに辿り着くための方法もわからない。

自分への評価がわからない、
そもそも自分を理解してあげられていないからこそ、
「なぜ苦手だと感じているのか」もわからない

それがわからなければ克服なんて絶対に不可能ですよね。

ここでやっと1つ前の章と繋がるのですが、
「自分」と向き合ったことで
そもそもそれは「苦手」なのか?
「得意」になりうる可能性を潰してしまっているから「苦手」になっているだけではないのか?
という答えに辿り着いたんです。

本当は話すのが好きなわたし

わたし、ここまで「話す力」が無いと書き進めてきましたが、実はめちゃくちゃおしゃべりさんです。

友達や家族と話すときは、自分の伝えたいことをとことん伝わるまで話すのが好きです。
くだらない話も、真面目な話も、相手の言いたいことと自分の言いたいことを心ゆくまで話すのが好きです。

でも、その相手や場所に「仕事」が絡んだ瞬間
わたしは話すのが苦手になってしまう。

おかしいですよね。
本当は話すのが好きなのに。

「みれいは誰とでも深い話も楽しい話もできるよね」と言ってもらえることも多いんです、実は。
「話すといろんなことが整理される」と相談役にされることも多々あったんです、実は。

だから、わたしは自分の好きであり得意なことを、
なぜか「苦手」にしてしまっていたんです。

得意を苦手に変えるモノを排除する

これもまた素敵なご縁で、あの手紙をもらってから数日後の今日、お話しした人が、わたしがなぜ話すのが苦手になってしまったのかの答えを教えてくれました。

①「話す力」が求められてきたのがオンライン会議上のみだったから
②「この人に理解して欲しい!」と心の底から思えていないから

わたしが社会人になり、「話す力」をジャッジされる場所は決まってオンライン上でした。
今まで勤めてきた会社もクライアント様との関わりは99.9%がオンラインで、今のお仕事も基本オンラインです。

オンラインでは、相手の表情が見えづらく、本当に理解してくれているのか?どこまでわかっているのか?どこでつまづいているのか?が分かりにくい。
オフラインで会うこともなく、その人の性格や思考回路、ある分野に対しての理解度など、すべてをパソコンの画面越しで把握しなければいけない。
そんな状況で最初から最後まで関わるお客さん相手に、その人のペースを読みながら話す、というのがわたしにはすごく難しかったんです。

「結論ファースト」「相手の理解度に合わせて言葉を変える」
そういう手法を教えてもらっても、実践しても、なかなか伝わっている気がしない。むしろそれ以前に何か大きな問題がある気がしていました。

そんな中、ついこの間、直接対面でお客さまとお話しさせていただく機会をいただきました。

今までオンライン上で同席させていただいていたクライアント様に、直接お会いして、わたしが説明するパートがあり、実際に話した時、感じたんです。
「あれ?わたしちゃんと話せてるやん」

もちろん事前の準備もあってのことだったのですが、
クライアント様のうなずく回数、声色から
「ここは補足を入れたほうがいいな」
「この説明は省いてよさそうだな」
「わたしの意見もちょっと伝えてみよう」などを判断して
気持ちよく話せたし、クライアント様ともいつも以上に質のいい議論ができたなと感じました。

きっとクライアント様も、普段お仕事をご一緒させていただいているわたしの師匠も感じていたことでしょう。
「こいつこんなに話せるんや」と…笑

結論、何が言いたいかというと、
わたしが苦手だったのは、「話すこと」ではなく「オンライン上で相手の状況を把握すること」だったということ

そしてもちろん、そこにはプラスアルファで、
自分がその苦手を把握した上で、「相手を理解しよう」「もっと伝えるにはどうしたらいいか」と向き合いきれていなかった事が関係していました。

話すのが苦手、と周りから評価を受け、完全に自信喪失していたわたしは、いつしかクライアント様や同じ会社の人たちの顔を隠して(ごめんなさい)会議に出るようになりました。

相手の顔を見て話さなければ、自分の作った台本通りに、練習した通りに話してとりあえず会議をスムーズに終えられる。
そう思ってしまっていたんです。
怖いものから完全に目を背けていました。

自分の苦手、を「話すこと」と「オンライン上で相手の状況を把握すること」で履き違えていたから起こったことですが、今振り返るとそりゃそうだ。

要因は自分の「話す力」にあるのではなく、オンラインという場所にあった。なのに、話す力を上げるにはどうしたらいいか?を解決するために奔走してしまっていた。

「すべて自分のせいだ」と感じていたわたし。よく頑張った。

オンラインという場所を、いかに自分の得意を発揮できる場に変えるか?

それがわたしの苦手を克服するために必要な視点だったと、今日話した彼が気づかせてくれました。ありがとう。

自分を愛せるのは自分だけ

今回は「話す力」にフォーカスを当てて話しましたが、この暗闇のトンネルにいる時に出会ったわたしの苦手の数は計り知れません。

でも、それはきっと「得意」を何者かが「苦手」に変え(やがっ)ているだけなのです。

その何者かが、全て自分の中にあると考えるのではなく、
もしかしたら環境が悪いのかも?
このやり方との相性が良くないのかも?
と他の可能性を見つけて、アプローチしていくのが大切なのだと思います。(もちろん自分に起因することもありますが!)

Love the life you live, live the life you love.

これはわたしがいずれ身体に彫ろうと思っている言葉。
ずっと大事にしてきた言葉なのに、わたしは忘れていました。

トンネルの中で、落としてしまって、無くしていたのかもしれません。

かわいいかわいい自分を、守ってあげられるのも、
愛してあげられるように、道を選ぶのも全て自分。

自分の人生を愛せるように、
自分が愛す人生を生きれるように、
わたしはまず自分を愛して、愛して、生きていこうと思います。

大好きな自分へ、
おかえりなさい。

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