はじめまして。

【私について】
 
どうも!Mr.SAKAGAMIです。
まずは私の自己紹介とこれまでの人生についてひとつ作り上げたいと思います。
人生のターニングポイントや勝負の年、ガラッと変わった人生について語りますので、ぜひ見ていってください。
(はじめての投稿なので温かく見てください。笑)
 
 
【人生の始まり】
 
今から20年前、とある小さな町で私は生まれた。
町の人口は3000人弱。ひとつしかないコンビニが唯一の救いである相当な田舎で育った。幼少期からお調子者だった私は、学校でも家でも目立ちたがり屋で大人を困らせていたらしい。全校生徒は少ないが、中学校では生徒会長を務めたり、部活動では野球部主将を務めたりと、リーダーシップも持っていた。ですが、年を重ねるにつれて、目立ちたがり屋は消えてはいないものの、人見知りや臆病な人間になりはじめた。
 
 
【人生のターニングポイント】
 
そんな私も高校へ入学することになった。弱小中学から甲子園に行きたいと思い強豪校へ入学。幼稚園から10年以上共にした仲間と別れを告げ、心のよりどころがないまま門をくぐった。入った瞬間絶望を感じた。学校よりもグラウンドに入った瞬間真っ白になった。同じ学年とは思えないすごいガタイ。緊迫した雰囲気。何一つわからない私は誰かの後ろをついていくしかなかった。だがその一日で私はグラウンドに顔を出さなかった。いや、出せ
なかった。全員がすごすぎて恐怖心に襲われて一歩踏み出せなくなった。そして練習に行かない日が1週間ほど続いたある日、コーチから姉に連絡がきた。「弟はもう来ないのか。ユニフォームのサイズ合わせがあるから来るならちゃんと来い。」と。実は姉は同校野球部マネジャーのOBなのだ。怖くて無理ですと後日言おうと思ったが、野球をするために私はこの学校に入ったのだと、母も野球をするならここに行けといわれていたので、すべてを振り切ってグラウンドに足を踏み入れた。当然、何もないように練習は始まる。その日の野球ノートには監督からこうメッセージが綴られていた。「つらいこと、苦しいことが多い中で3年間やり続けることで終わったときに成長を感じられる。」私は、友達ができなくてもまずは、誰かについていこう。そして3年間辞めずにやりきると決めた。そして、1か月ほどたったある日、私たち1年生30名ほどが着替えている部室でいきなり、「おい、坂上」という声が聞こえた。先輩後輩含め、野球部に坂上という人はいない。ずっと言っているので言っている方向を見ると私と目が合っていたのだ。ほとんどの人と話をしたことがなかったので敬語で「自分ですか?」と返した。すると「今日から坂上な。」と言い、部室を後にした。これが私の【ターニングポイント】である。そこから私は、クラス全員にいじられるようになる。さらには先輩方からも「坂上」とかわいがられるようになる。どこからともなく坂上という声が聞こえ、慣れていない私は「違います」と敬語でツッコミのように返していた。入学をした4月には誰も友達がいない陰キャラから8月にはトップ集団の間に入り込むような人間にまでガラッと変わったのだ。
 
 
【その後の高校生活】
 
そこから人間関係も安定し、野球でも少しずつチャンスをいただける機会が増えた。代打やBチームではあるものの練習試合に出していただいた。入学当初、「辞めずにやりきる」という目標がいつからか「背番号をとる」という目標に変わっていった。そして私たちが最上学年となった2年秋の勝負の年。自主練習を怠らず、少ないチャンスを少しずつモノにしていった結果、「背番号16」を手にすることができた。簡単な話に思うかもしれないが、当時共にやっていた先輩や同級生、さらには親にも毎回「お前は絶対背番号もらえないと思っていた」と口をそろえて言う。それから引退まで背番号は変わらずメンバーに選ばれて高校野球人生を終えられた。甲子園には行けなかったが、それ以上に人間性や気持ちの部分で大きな経験値になったのは間違いない。
 
 
【最後に】
 
いかがでしたか?長くなってしまいました。自己紹介と人生について、ほとんど野球のことばかりでしたが、私の人生の半分以上野球が関係して今に至っています。野球がなければ真逆のような人間になっていたと思います。(笑)私が伝えたいことは、何気ない誰かの一言で人生は変わります。現に私は変わりました。「おい、坂上」がなければ私は高校を辞めていたと思います。ですから、言ってくれた人には恩人以外の何物でもありません。みなさんも、野球に限らずひとつひとつの言動や行動を大切にしていきましょう!
 
では

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