「渡す」
「肥後の石工」今西祐行・実業之日本社
ブリューゲルの描いた『イカロスの墜落の風景』という絵がある。英雄のイカロスが題名になっているにも拘らず、目を凝らさなければ画面のどこにイカロスがいるのかわからない。蝋で固めた羽を付けて天に挑んだ英雄は、ぶざまな格好で海に落ち、足だけ突き出した姿が小さく描かれているだけ。馬に鋤を付けて畑を耕す農夫の姿が絵の中心に大きく配され、その後ろで、羊飼いが羊の群れを追う。そして海岸端には魚を獲る漁師の姿。三者三様に、彼らは自分の仕事に没頭していて、海に墜ちたイカロスの惨事には全く無関心だ。背景には、陽の光に染まった明るい海と空とが描かれている。歴史の流れを変える大きな出来事も、壮大な自然の前では、ほんの点景でしか有り得ない。大事を成し遂げる人がいる一方で、大事が起ころうとも変わらぬ歩みで暮らす市井の人々がいる。
歴史という大河を支えているのは、英雄だけではなく、日々変わりなく自分の仕事をやり遂げるごく普通の人々だろう。だが、そんな人の上にも、自分の意志とは関係ない、思いもかけない運命が降りかかることがある。何ものかによって生かされている命。どんな過酷な運命にも、そこには深い意味が隠されているのではないか……そんなことを思いながら、『肥後の石工』を読んだ。
時代は天保。場所は鹿児島。島津二十八代目城主斉興(なりおき)が、十年の歳月をかけて甲突川に五つの橋を架けた。玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋。いずれも石造りの美しい眼鏡橋だ。これらの工事を手掛けたのは、肥後の国から呼び集められた腕のいい石工たちだった。どの橋にも、敵が攻めてきた時に城を守る為の仕掛けがあった。中央の一つの石を取り外すと、重力の関係で次々石が崩れ落ち、橋は全壊する。この秘密を守る為、仕事を終えた石工たちは刺客の「徳之島の仁」に密かに殺された。石工頭の岩永三五郎も殺される運命だった。しかし徳之島の仁は、三五郎をどうしても斬ることができず、河原にいた乞食の首を斬って城に持ち帰った。自分の身代わりに父親を殺された乞食の子二人を、三五郎は故郷の村に連れ帰る。
ひとり生き残ってしまったばかりに、悔恨の日々を生きる三五郎。人斬りの仕事をしながらも、悪人になりきれない徳之島の仁。三五郎に石工の技術を仕込まれ、三五郎を慕う乞食の息子の吉。三五郎を恨み続ける乞食の娘の里。一番弟子でありながら、父親を殺され、三五郎を憎む卯助。それぞれの運命の糸が絡まりあい、登場人物は、二転三転と悲劇の中をさまよう。その後、三五郎、卯助、吉の力が結集した橋が、肥後の国にも完成する。
「これは歴史小説ではなく時代小説だ」と作者はわざわざ断わっている。裏付けがあって初めて歴史と呼ばれるのだろうが、目に見ることができない人の心の動きを通して感じられる歴史の側面がある。架空の人物である徳之島の仁や乞食の姉弟の心の揺れを追うことで、実在した石工の岩永三五郎の人物像、彼が橋造りにかけた執念が浮き彫りになってくる。
「橋というものは、ただ人や荷を渡すものではなく、人の心も渡すものなのだ」とは、作者の今西さんの言葉だ。三五郎が造った「鹿児島の五大大橋」は、今はもう存在しない。だが、三五郎の技は弟子たちに引き継がれた。都心にある日本橋、江戸橋、万世橋、浅草橋、これらの石造りの橋は、肥後の石工たちによって架けられた。