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「生まれる」

 「明日」井上光晴・集英社

 その年は、九月に娘の里帰り出産を控えていた。初めての孫なので力が入ってしまって、肌に触れるものはオーガニックコットンにしようとか、布オムツがいいのではないかとか、準備を始めていた。出産準備といえば、古い浴衣をほどいてオムツを縫う姿が思い浮かぶ。だが、今は紙オムツが主流で、オムツを縫う人などいないだろう。
その時、娘とはできるだけ布オムツを使おうと話しあった。私も当時は仕事をしていなかったので少し手伝いができるから、「オムツなし育児」にも挑戦してみようか、とも話していた。「オムツなし育児」とは、赤ちゃんとコミュニケーションを図りながら、排泄のサインを読み取り、オムツではなくおまるで最初から排泄させるやり方だ。排泄の世話を手抜きしない事で母子の信頼が深まり、結果的には子育てが楽になるらしい。私にとっても初体験の育児法だった。布オムツも紙オムツも使っての、ゆるい挑戦だったけれど。
 買い物ついでに街の洋品店に寄って、布オムツを買おうとした時のことだ。「今は扱ってません。みんな紙オムツを使うので」と言われてしまい、帰りかけると、「あ、少し残っているかも」と呼び止められた。そして、オムツ、産着など売れ残っていた品を半額で譲ってもらった。オムツカバーは二枚ただで戴いてしまった。「本当は布のほうがいいんですよねえ。まだあるから、必要だったらまたあげますよ」と、用品店のおばあちゃんが親切に言ってくださった。麻の葉模様の産着は、私にも見覚えがある懐かしいものだった。
子育ては時代によって流行り廃りがある。新しいものがいいとは限らないし古いものにこだわる必要も無い。ただ、子育ては、その場限りのものではない。未来へつながる大事な仕事だと、娘に伝えたかった。
そして、母にもらった古い浴衣があったのを思い出し、もし時間があったら、浴衣をほどいて手縫いのオムツも作ってみようと思い立った。
きっかけは本の中の、あるシーンだった。井上光晴さんの『明日』の中にこんな描写がある。
「朝のおだやかな光のみなぎる部屋で、母は縫い上げたばかりの産着を畳む。静脈の浮き出た手が弾みをつけてゆるやかに動き、折り目の上でしばらく休止すると、小鳥でも包みこむようにまるくなる。真新しい産着とふたつのおむつの山。背筋を伸ばし、少し首を傾けてそれを見やりながら、母は小さく安堵の吐息を洩らす。私がふふと笑うと。母も鼻に皺を寄せて笑い返した。さ、もういつ生まれてもよか、とその顔はいっている。昨夜、母は殆んど眠っていないはずだ」。
 出産を明日に控えたツル子。陣痛の合間に彼女は様々な事を思い返す。妹が生まれた時、母が余った乳を茶碗に搾ったのを味見した事。こんなまずいものを赤ん坊は飲んでいるのかと思った事……。後半の陣痛から出産のシーンは、経験のあるなしを問わず、思わず手に力を込めて息をつめて一気に読んでしまうだろう。「突然、終った。すべてが消えた。声にならない私の息は母の息と重なる。その時、鋭く空気を顕わせてひとつの叫びが湧いた(中略)八月九日、四時十七分。私の子供がここにいる。ここに……私の子供は今日から生きる。産着の袖口から覗く握り拳がそう告げている。ゆるやかな大気の動き。夜は終り、新しい夏の一日が今幕を上げようとして、雀たちの囀りを促す」。
希望に満ちた描写でこの長崎を舞台にした物語は終わる。だが、この日の十一時〇二分、原爆によって長崎の町は焦土となる。


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