これから先、残された私たちは-2-
本来は共引
祖父が息を引き取った日は友引。
世間で言われてる「友人まで連れて行かれる」という話は気にしなくていいようだ。
友引は、本来の字は共引と書いていた事実があり、それが日本に伝えられた時に友引と変わったと。
共に引き分け。
なので、気にする必要はないということ。
そう葬儀社の方から教えてもらい、その場にいた者全て納得していた。
父が仕事から戻ってきたのは午前10時前。
そこから打ち合わせをして、夕方にお通夜はバタバタするし厳しいだろうということで、仮通夜を行い、翌日お通夜、翌々日告別式となった。
整える
初めて湯灌士さんの作業を見ることができた。
(写真を載せたいけど、遺体も見えるので控えます)
準備ができた段階で呼ばれ、作業を見守った。
硬直した身体をほぐし、動かしやすいようにする。顔もだんだん下がるので、鼻には綿を詰めてある。
洗い流さないシャンプー、髭剃り、ファンデーション、口を閉じ、、、と手際よく進み、無事祖父を整えてくださいました。
その間、写真をたくさん撮っていたので、こんなに撮るの私だけですよねと言うと笑いながら「いえいえ」と答えにくい質問してしまいました。
お葬式で写真を撮ることは意外と勇気が必要。
妹から、何故祭壇の写真を撮れるのか不思議そうに聞いてきた。
写真フォルダを開くことも重く感じるそうだ。
私は重く感じることもなければ、この一瞬を残しておきたいし、身内の遺体に抵抗がない。
湯灌士さんの作業をされているときも、目の前で見れるという興味の方が強かった。
突然涙が出る
お通夜が始まると現実に戻る。
いくら楽しく話していても、お経を聞くと、涙が出る。
漫画でよく見る「ツー」っという感じで溢れ出てくる。
祖父に対する気持ちには、謝りたいことだらけ。
もう直接謝ることも話すことできないから、いまからでも出来ることをして報告していきたいと思った。
孫が8人いるのに、ひ孫が出来ん!と笑いながら言ってた祖父の言葉がずっと残ってる。
私の結婚式に列席してもらった時、話しかけるような感じだった気がしたのに、次々と進んでいったことも後悔している。
伝えたかったことは何だったんだろう…
その後送った写真入りのハガキが遺品の中から出てきた。
「ひ孫はもう少し待ってね」
捨てるのかなと思ったら母から、保管しておくと言われ、少し恥ずかしくなった。
初めて会う人
お通夜には私があまり覚えていない親戚や、初めて会ういとこや、それぞれの関係者が参列してくださった。
父の兄弟とは会うことが少なかった。
まともに話すことは初めてなんじゃないかなと思うくらい。
正直、まだ他にもいとこがいたんだ…と思った。
最後のお別れ
翌朝、出棺前の最後のお別れ。
祖父が好きだった焼酎を入れる父、花を添え、餅を添え、面々に思いの言葉を言いながら出棺となった。
ここでも、あの言葉が出た。
「あれ、もういいの!?」
葬儀社の担当からこっそり言われた。
もう家系なのかもしれない。笑
出棺前はなかなか進まないことが多いらしい。
生きているうちになんとか会えたこと、仮通夜含め3日一緒にいることが出来れば、そう長く引き留めることもなかった。
父の発言
火葬場についた我々は、ここで笑い声をあげてしまう。
父は職業柄、毎日オーブンを使う。
火葬に2時間くらいかかると聞かされていたが、結構早めに火葬が終わりますとお知らせがあった。
すると父が「最近の火葬は、火力が違いますね」と何気なく言った。
私の旦那さんが「お義父さん、仕事のオーブンと同じように言ったら爺ちゃん怒らすですよ」と、その一言で一同笑ってしまい、私はお腹が痛かった。
それでも事あるごとに「火力が」と両親が言うので、「何ばいいよっとか」って怒ってそうだと話していた。
まさか火葬場でこんなに笑うとは思っていなかった。
爺ちゃん許してね。
蜻蛉は魂の化身?
火葬場から葬儀場に戻ると、玄関の前にたくさんの蜻蛉がいた。
ご先祖様の化身という話しもあるように、私と主人はそういう言い伝えは信じる方だ。
「見守ってくれらしたね」と私たち夫婦だけまた感傷に浸った瞬間だった。
精進料理
精進あげは、うな重。
祖父は鰻が好きだったと父が思い出し、近くにあるお弁当屋さんに予約していた。
浄土真宗では、肉魚関係なく食していいそうだ。
じいちゃんも鰻好きだったんだね。
私も鰻好き。笑
告別式も無事終わり、祖父を送り出すことができた。
明日は伯母の初七日。
祖父も一緒にお経をあげていただくことになった。
四十九日まではこの世に魂があると言われている。今年のお盆は、初盆ではないけれど、集まって手を合わせることになった。
1週間があっという間
やはり1週間に2人見送るとなると時間はあっという間。
決めることも多ければ、伝えることも多くなる。
よくやり遂げたと、娘の私が両親に思う。
これまでなかなか集まらなかった親族が毎日のように顔を合わせた。
きっと疲れも出たはず。
だけど、いい時間を過ごせたと思う。
父も祖父の看病をしたから、心残りはないと話している。
「(父)は、すぐ帰るもんな」と祖父は親戚にボヤいてらしい。
そして父からは「お見舞い行った時、看護師さんから、(父が)すぐ帰ると言われなかった?」と尋ねられた。
「それは無かったけど、もうおかえりですか?」って聞かれたと話すと父は笑っていた。
親子だなとなった瞬間でした。
結び
彼の世では先に伯母がいて、祖父はびっくりしたかもしれない。
なんで(伯母が)こけおっとかい。
お父さんが迷わんごつ先に来たったい。
そんな会話が聞こえてきそうだ。
もちろんこれは妄想である。
お互いを心配していたこともあり、同じ週に他界したふたり。
一度に父と姉を亡くしたこと
自分(父)の誕生日の数日前であること
世話をしやすいように
忘れないように
そうしてくれたのかもしれない。
これから先、残された私たちは2人が繋いでくれたご縁を大切にして過ごしていきたい。
従姉妹ともまた会う日を楽しみにしてる。
たくさんの感謝を込めて。
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