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これから先、残された私たちは-1-

立て続けに近しい親族が2人も他界した。

2人は親子で、それぞれ癌で、1人は糖尿病も持っていた。

私からみると、父方の伯母と祖父。

近しい親族の他界は初めてで、何もかもがあっという間だった。

伯母と祖父は3日違い

大変なのは父だった。
それぞれ施主と喪主を務めることに。

実家は自営業ということもあり、休めば休むだけ売り上げが下がるという状況。

3日しか違わないので、数えで1週間以上お店は閉め、時間を見つければ仕込みをして、朝イチの卸しだけ納めては葬儀場へ戻ってきていた。

こんな時くらい休んだらいいのにと母と言うけど、休まないのが父であり、経営者なんだと改めて気付かされる。

時間をとるか、お金をとるか

伯母と祖父がもしかするかもしれないと母から連絡があった時、妹がこんなことを呟いていた。

帰省するとしても急すぎてお金が倍以上かかる

そこで悩んでいた。
同じ立場なら私もそう悩んでいたと思う。

お金は頑張ればいつかは貯まる。
けど、時間は返ってこないよ。

そう言ったら、翌日帰ってきた。
両親は、お金が…と初めは言っていたが、あとから「帰るとよく決めたよな」と両親が話していた。

そうして、妹が帰省している期間に伯母が亡くなった。

久しぶりに会ったいとこ、親戚。

早い別れ。

お通夜やお葬式中、少し考えるだけですぐ涙が出る。

伯母は眠るような顔だったことが、不謹慎かもしれないが私にとっては安心した。

祖父のお見舞い

帰省した日、妹を迎えに行き、私が大好きなうどん屋さんへ。
どうなるのかなとうどんを食べながら話した翌日、伯母の訃報が入った。

仕事を早めに切り上げさせてもらい、葬儀場に向かった。

幸いこの日は主人が休みだったので、スタンド花や目覚ましなど、兄弟間での取り決めを進んでまとめてくれた。
頼れる旦那さんがいてよかったと心底思った。

翌日お別れ後の出棺を見送った後、急いで祖父の元へ走った。

面会時間に決まりがあったけど、特別に15分だけ入らせてくれた。

聞こえてはいるけど、反応がないかもしれませんと看護師さんが言う。

それって、意識が遠のいてること?って思いながら、2人で声をかけた。

そしてたまに返事をするかのようにも聞こえる呻き声。眉の動き。
頑張って返事をしようとしてくれているんだと思った。

何を言いたかったのかなあ。
ききそびれちゃったなあ…。

お互い祖父に伝えたいことは伝えて、病室を後にした。

本当は伯母が亡くなったことを伝えたかったけど、両親を越えて孫が言うことではないと思って控えた。

「あれ、もうお帰りですか?」と、親子揃って看護師さんから言われたことを知ったのは、お通夜が終わってからのこと。

意外とさっぱりしてるのは親譲りだろう。笑

そして、その足で妹を駅まで送り届け、葬儀場へと戻った。

伯母の集合写真には間に合わなかった。

1日空けて祖父も

祖父が息を引き取った日、私は偶然にも休み。

両親は朝から予約が入っている為仕事に行かなければならず、早朝から1人で祖父の元へ向かった。

伯母のお葬式が済んだ2日目の夜中だった。

寝ている間は通知を切っているのを自然と解除し、LINEが着てると主人に起こされた。

それから準備して、急いで出発した。

葬儀場までは15分足らず。
車を運転しながら、涙が出る。

早朝の田舎道は、繁忙期でない限り誰も居ない。
1人で泣きながら葬儀場へ到着。

いざ祖父の顔を見ると涙は出なかった。

何故ならそこに寝ているように見えるから。
本当に寝てるみたいで、今にも起きそうなだった。

もっとお見舞い行けばよかった。
ひ孫の顔見せられなかった。
最後にどんな会話をしたかすらよく覚えてないままお別れになってしまった。

と思っても、もう遅い。

これまでの行動を悔いた。

次のnoteがまとまったら投稿します。

【時系列】
・伯母が亡くなる(事情があり父が施主)
・3日後祖父が亡くなる(父が喪主)
・日程や時間の都合で1日お通夜が延びる
・祖父のお葬式の翌日が伯母の初七日

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