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平凡な記録

突然だが、私は平凡である。

身長、体重、見た目も勿論だが、中身も人に流されやすくミーハーであり、趣味特技もこれといってない。
なにかに突出している訳でもなく、かといって落ちこぼれでもないのだ。

誰かにとってみれば、自分よりマシだと思える存在だと自負している。

平凡を絵に書いたような人間なのに、平凡を生きるのが難しいと日々感じる。
だからなのか、生産性のあることをしたいと最近強く思うようになった。
フリーターで、時間の余裕が取れる内に趣味を見つけたいなと、🔍生産性 趣味 で試しに調べてみた。

家庭菜園、DIY、料理、音楽....
何をやっても中途半端で、物事が続かない私でも出来そうなものと絞っていく中で、小説というワードが引っかかった。

過去に二次創作として、2作品だけ小説を書いたことがあるのを思い出し、文章を書くのもありだなと、調べるだけ調べてブラウザを閉じた。
なにかしなきゃなと思いつつ、なにもしない一日を過ごしていた中、友達がnoteに日記を投稿していることを知り、じゃあ私もやってみるかと軽率に日記を始めることにした。

文章を綴るのは、小説と共通する部分ではあるので、 日記を書くのも生産性がある趣味なんだと自分の中で折り合いをつけた。

ところで私の中で日記というものは、今日何やったっけ、と思い出してペンを走らせることで、脳を刺激し、老いに抗う脳の筋トレのようなものだと勝手に位置付けていた。

机に向かい合わなくていいのは、ズボラな私にとっては続けやすくていいのだが、日記を書く意味が無いのでは?とふと頭を過ぎった。

しかしその疑問もnoteの存在を教えてくれた友達と、私の中での日記の立ち位置がどうやら違うらしいというのが判明したことで、解決する。

私は前述した通り、脳トレ的存在だと思っていたのだが、友達は毎日を記録することで、日々の統計をとり、調子が良い時とそうでない時の違いなどを見るのだと教えてくれた。

閉じていたブラウザをまた開き、日記というものを改めて検索してみると、「個人が日々の出来事を記録した文書。」とある。

なので、友人が言っていたことが日記の"意味"であり、私が思っていたことは日記の"効果"だった。

noteを始めようと思わない限り、この違いに気付けなかったので、日記がもたらす効果は割と私にとってプラスになるのかもなと、少しわくわくした。

この日記が続くことを目標に掲げて、もう朝になってしまったが眠りにつこうと思う。



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