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さくらもちの葉っぱ


さくらもちの5倍さくらもちだったという話。


東京の桜が開花したとのこと。
この時期に心がそわそわするような、始まりの予感がするような、
この独特な気持ちはきっといくつになっても変わらない気がする。
いや、自分の中で何か新しく始まるものなどこれといって毎年特にないのだが。

今まで、所謂SNS的なものが一切何の事なのかさっぱり分からず過ごしてきた。
本当に何も知らないので詳しくは割愛するが、友達がmixiだホムペだと楽しそうに盛り上がっている時代から、では自分も是非、という気持ちにはなれず、Facebookもインスタも、何をどう使ったら良いのか未だに分からない。
とにかく誰かと繋がる状態を避けて避けて過ごしていたし
発信する事も特にない。世界を広げたいとも思っていなかった。

昔から、頭の中でまあ悶々と色々考え事をしながら生きてきた。
みんなそうか。
学生の頃まではそれこそチラシの裏にでもポエムみたいな思いの丈を
絵かなんかと共に書き殴りながら形にしていたわけだが、
社会人になってそんな暇もなくなり、そして今に至る。

いわゆる黒歴史としていつだったかきれいさっぱり断捨離をしたあの思いの丈。
でもただただ一生懸命だったあの時の真っ直ぐな気持ちはきっと、
自分の最高傑作だったな、なんて今頃思う。
だって本当に精一杯の心を形にしていたわけだから。
少しは上手に生きられるようになった今の自分にはもう二度と書けない。

そんな、あの時自分の思いを黙って聞いてくれた、励ましてくれた
チラシの裏として、
SNSを使って見るのはどうだろうかと不意に思い立つ。

これが使い方として合っているのか、
書き方なんかも間違いなのか正しいのか何も分からないが、
あの日から綴るのをやめた分の思いの丈。
これからnoteで書いていけたらなぁなんて思っている。

私はさくらもちが大好きだ。あのさくら味(というのだろうか)が
とにかく好きだ。
しかしさくらもちに巻いてある葉っぱがあまりにも葉っぱすぎて、
どうも食べられなかった。
しかし子供ももう小学校高学年になる。色々ごまかしがきかない歳なのに、
母が葉っぱを外してさくらもちを食べていたらどうか。
さくらもちくらいで「ダッサ」と心の中で思われてしまうのはどうか。
先日、何食わぬ顔で思い切って食べてみたら、
なんと大好きなさくらもちの味が何倍にも凝縮された美味しい葉っぱだった。

世の中にはまだまだ知らない事がきっとたくさんある。
というより、狭い世界で生きてきた私は知らない事しかない。

桜の開花宣言に思いを馳せて、
とりあえず一歩踏み出したnote。

これからよろしくお願いします。




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