型どられたことだけが真実ではない 統合失調症寛解か②

統合失調症を患っていたって、警察に診断書を提出し、体調と相談しながら車も運転できる。市もガソリン券の補助を出してくれる。一人暮らしも働きながら、毎日にようにやりくりをしながら、働いて稼いだお給料と年金でやっていけた。一緒に支えて合った友達だってありがたいことにできた。どうしても自立がしたいとその時は思っていて、でも自立なんてどれだけ依存できることがあるかどうかであって本来の自立とはと思い直し、一人暮らしもやめた。障害があったって、いや、むしろあるからこそ新たな道が開け、できることも見つかり希望が持てるというのも事実だ。




なぜ、障害を持ちながら働くことにこだわるかは以下のこともある。




ここでは、発表会だったということもあり、何度も添削しながら綴ったが、きれいごともあることは否めない。

しかし、発症して7.8年は、治療薬はみじんも信じていなかったし、支援者との関係も極めてあいまいだった。当然、精神なんか安定するはずもなく、かなり破天荒なことをしていた20代であった。そして、とてもみじめな思いもした。みじめな思いとは、使えるのは生活費だけで、まともに友人、交際費に使えるお金がほぼなかったことだ。趣味なんてなおさらだ。服もまともに買えず、自分の中でのださい恰好をせざるを得ず、そして、普通のように余暇時間を楽しんでいる奴がうらやましかった。

とても悲惨だった。

こんな自分、絶対に嫌だとその時決意し、自分のできることで、お給料をもらいたいと思った。

しかし、仕事は長続きせず、それもなかなか叶わなかった。

そんな時、入院中だった時もそうだし、前からホームヘルパー2級(当時の名称)をとっていて、精神病院に通院、入院してしまったら、職には就けないだろうと思っていたが、介護の仕事はどうなのだろうかと前々から思いを持っていた。

介護といえば、3kは(臭い、汚い、OO)といったいかにもマイナスなイメージから、感謝はされるとはよく聞くし、誰かの役に立つがなかなかやろうかなと思っても一歩踏み出せない人もいるかもしれない。特に介護を推すわけでもないが。

しかし、3大介助といわれる、食事、入浴、排泄介助の業務はとても大事なお仕事なので、不用意なことは話さない。

そこで、一歩踏み出して話すと介護はとても創作的、つまりクリエイティブ職であるということである。

なぜか。

福祉職についている方はお分かりだと思うが、何かを作れる人、楽器の弾ける人、絵を描ける人、創造力を働かせて話すことなど、+αの部分でこれらができる人はかなり重宝される。

利用者との製作活動。(一緒に作りあげることで喜ばれる)

歌が好きな人も多く、ウクレレクラブなるものを作り、披露することもあった。(ピアノもエリーゼのためにぐらいは弾けた。ウクレレをやる際にも多少役立った)

ウクレレは3000円くらいの桜模様で令和と入っていて、部屋に飾ってある(本来そういうものではない)

今はまたやろうという気は今は起きないが、そのうちまた気が向いたら。

それに、利用者、さらには職員にまで絵を描ける人は一目置かれる。

また会話について言えば、障害の有無に関わらず、利用者と職員の会話は良い意味で摩訶不思議だ。

正常でないが故に対応できることも多い。

そもそも正常な状態とはなにか。健全である方がよっぽどいい。

職員同士もまともさはある中で、結局は面白いことがあると笑いも起こり、いい意味で現場もほころび、場の空気がガラっと変わり、雰囲気もよくなる。

極度の緊張状態では何もできない。

介護から福祉へと関わるようになってきて、まともさというより倫理の在り方だと感じた。倫理は存在しても学べない。教材というのにも違和感がある。教育というのは負の側面を持っている。

私は統合失調症になるまで、いわゆる体育会系のスポーツものめりこんだし、そういう人たちが目ざす会社を目指していた目ざとい存在である。

しかしこの症状と付き合うようになってからは視点が180°変わり、いわゆる文化系と呼ばれることに日に日に惹かれるようにもなっていった。

ただ、下地がないから、今できることも限られている。

だから、絵を描いたりできる人、気にいった本やレコードのジャケット、創作家などについ目がいってしまう。今は唯一無二の友人もいたり、つながってくれる人達の方が大事なのでそれに応じた働き(お給料やお金のことでいえば)でいいと思っている。

3.11。

3.11の日、関東でも大きな揺れを感じ、めちゃくちゃ動揺した。とにかく家から犬を連れ出し、エレベーターは止まっていたので、お子さんを抱えて階段でうずくまっている人に必死で大丈夫ですかと声をかけ、家族とも安否確認した。とにかく動揺した。

気持ちがおさえきれずに復興ボランティアに東北まで行った。

自分にできるのは今はそれしかないと思って、夜行バスに乗って行ってみたら、廃墟となってしまった街にひときわ目立つ学生服を着た学生が登校。街はめちゃくちゃなのに、学生だけはひときわ目立つそのギャップともいえる光景。

奇跡の一本松。遺品収集のボランティアをしたけれども、もうその時には、お金を落としてくれればいいんですからという拍子抜けた言葉を聞く。

そういうこともあってメディアで流れている現実と実際行ってみてのギャップも感じた。

東北の復興だけでない。現在の被災のこともだ。
関連することにも触れてきた。
しかし、メディアへの反応は薄くなった。

再び、3.11から。




※以上の文章は加筆、訂正する予定でいます。






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