松子の台湾旅行記 NO.0 れんしゅう、れんしゅう

 母上が赤いほうの航空会社に勤めてから25年が経ち、会社から「うちの飛行機でどこでも行っておいで」券が2枚、贈られた。ふつうは夫婦で2枚、らしいのだが母上がバツイチのおかげで夢のようなそのチケットは娘の私のもとへ渡ってきてくれた。
 片親だって悪くないよなと駅のホームで笑いあってから私たちは、さまざまな国のガイドブックを引っ張り出してはどこへ行こうかと日夜話し合うようになった。この時間はきっと、そのタダ券で実際に旅行をする時間以上に楽しいものなのかもしれない。私にとっては「初海外」の予定であったから、やっぱり最初はハワイだろうとか、せっかくのタダ券はアジアじゃ近くてもったいないとか、私のだいすきな大谷翔平のいるロサンゼルスで野球を観ようとか、母上が前世の母国だと言い張るフランスもいいなとか、私は受験勉強の傍ら遠足の前日気分を存分に味わった。
 結局、日本からちゃんと遠いことと趣味を謳歌できることから、タダ券に印字される行先は「ヘルシンキ」となった。
 私はフィンランドが生んだ深淵であたたかい名作『ムーミン』が大好きなのだ。好きすぎるあまり高2の夏をすべてムーミンとその作者トーベ・ヤンソンの研究に捧げ、小論文を書いて志望校へ送り付けたほどである。
 私は、大真面目に、ムーミン谷へ行きたい。
 そして、旅行へ行く夏という季節も、決め手の1つとなった。私が好きなトーベの詩に『秋のしらべ』というものがあるのだが、夏との別れを惜しむ言葉たちは、フィンランドの夏がどれほど素晴らしく夢のようだかをひしひしと伝えてくれるのだ。それは涙がでるほど切ない詩だが、格別に多幸感あふれる爽やかなひと時を過ごしたからこそ生まれたものなのだと思うと、私は狂おしいほどあの美しい言葉たちを生み出したフィンランドの夏に会いたくなった。
 ムーミンを存分に味わい、芸術家トーベ・ヤンソンに思いを馳せる10代最後の夏。最高ではないか。・・・ただ、ひとつだけ懸念点があった。それは、ガッツリもとがとれる❝ちゃんと遠い❞北欧を選んだからこその障害だった。フライト時間がばかみたいに長いのだ。「当たり前だ、海外旅行なめんな」と一蹴されそうな些細な懸念点に思えるが、南紀白浜空港からの2時間にも満たないフライトで酔ってねをあげた前科のある私にとっては立派な心配事である。
 
 と、ここで、やっとここで台湾が登場する。私は何もタイトルを間違えたのではない。私の叔父、さとちゃんとそのパートナーなほちゃんと我が家でその話をしたとき、どういうわけか「じゃあ、フィンランドへ行く練習で台湾へいこう」という話になったのだ。今思えば日本の羽田空港から台北の桃園空港までの所要時間3時間のなにが練習だ、と思うが、コロナのおかげでことごとく海外へ行くチャンスを潰されていた私は、「えへへ、れんしゅう、れんしゅう」とすっかりその気になっていたのだ。私の叔父さとちゃんはなんでも❝すぐやる課❞のおじさんなので、夕食を食べ終わると早速face bookで知り合ったという現地の友人と連絡を取り始めた。せっかくだから御年77の祖母も一緒に連れて行こうなどと勝手に食卓で話を広げていると、居間のソファに寝転ぶさとちゃんの「おい、本気で行く気か」という声がとんでくる。

「いや、お前がな」。

かくして3月の始め。一同で行く4泊5日の台湾旅行が決まったのであった。

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