腹膜がん患者の家族の気持ち

日記 2024年1月17日
 
私の母は腹膜がんを患った。発見したのは2022年の6月ごろであり、その時点で初期ステージから進行していた段階と言える。当時の僕はあまり問題視していなかった。社会人になったばかりで母の事を気遣う余裕がなかったのだろう。しかし何よりも、母のガンは治るとしんじてやまなかった。そこからの1年間は生活に支障は無く、通院しながら仕事もやっていた。
 翌年の5月、GW休暇中に実家に帰省した。母がいるはずの祖母の家に訪れたが、母はいなかった。同じタイミングで叔父(母の弟)が帰省しており、母の容態を僕に向けて話してくれた。というのも、叔父は定期的に母の看病に来ており、主治医から病状について話を聞いていたのだ。
「姉さんはおなかに腫瘍ができていて、それが胃腸とかほかの臓器にまで転移している。主治医の話では、年内まで命がけ持たないかもしれない。」
叔父の言葉を一言一句覚えているわけではない。「近いうちに死ぬ」というニュアンスを直接的に表現していなかった気がする。ただその時には、母の死を受け入れる準備をしなければならならなかった。叔父が帰った後、祖母が母のことについて話してくれた。母は体調が悪化してから入院していた
 
 
2023年12月末、私は年末休暇をつかって帰省した。約2か月ぶりに母親に会った。かなりやせ細って、ベッドに寝たきりになっていた。腹は腫瘍でパンパンに腹が膨れ上がっており、臓器を圧迫しているせいでまともに食事ができなくなったのだろうと思った。カップヌードルやゼリーを二口程度は食べていた。それでもご飯を食べると胃腸を圧迫して、苦痛に悶えていた。年明けから、腹部の痛みが激しさを増していった。起きている時間は常時「痛い痛い」と叫んでいた。母親の辛そうな姿を見るのは初めてであった。いつも声がうるさくて陽気だった母親。自分はもうこの人を頼って生きることはできないのか。逝ってほしくはないけれど、不治の病にあらがう筋は無いので、今できることをやるしかない。幼いころの自分だったら、死にそうな母を見て泣き叫んだかもしれないが、もう自分は23歳だ。これがいいことなのか悪いことなのかわからないが、観念してしまったのだ。
 
2024年1月2日、モルヒネ点滴を開始した。緩和治療のひとつだ。麻薬効果で体内の痛覚を鈍らせて痛みを感じにくくする。その代わりに、ほとんど睡眠状態になり、コミュニケーションとる頻度も依然と比べて激減する。単語や短い文量の話しかできなくなっていた。おしゃべりで饒舌に話していた頃の母と比べると、病気というものがこれほどにも人の姿を変えてしまうのかと思った。年明けから約2週間は、起きている時には出来る限りしゃべりかけ、のどが渇いた時には水を飲ませ、排便したい時にはトイレに連れて行くなど、出来る限り世話をして行った。勿論自分だけでない。兄もいて祖母もいた。叔父夫婦も大阪から来てくれた。特に叔父夫婦は仕事を休んで、祖母の家に泊まり込みで世話してくれいる。僕と兄が実家に戻った夜間も献身的に看病してくれた。頭が上がらない本当に感謝している。
周囲の予想以上に母は辛抱強く生きていた。主治医の話では、1月4日時点で1週間も余命がないと宣告されていた。私は上司に連絡して休みを貰った。1週間あれば母の最期を見送って葬儀までできると思っていた。しかし、母にはいい意味で裏切られた。日記を書いている本日17日時点でも母未だ生きているのだ。明日、仕事の都合で茨城に戻らないといけない。飛行機に乗って家に戻り、次の日には10日程遅れての仕事始めになる。しかし、その間に母が亡くなるかもしれない。というか、非常にその可能性が高いだろう。母の最期を看取ることはあきらめている。年明けから食事をとっておらず、水分も僅かしか飲んでいない。いつ死んでもおかしくないのだ。せっかくここまで来たのなら母の最期を看取りたい。これは、母への忠誠心よりかは意地だといえる。最後まで一緒にいると約束したのに、結局途中で離れてしまうのは中途半端な気持ちになってしまうから。先が読めない状況が毎日続いて、合理的な判断ができずこの日まで来てしまった。しかし、自分が決めた決断に対して「こうすればよかったな。」とあれこれ考えても仕方がない。最低限の損切りだと考えて、先を見据えたアクションを起こすしかない。
 
ここまでがん患者の家族の者の心情を書かせていただいた。こんなことは初めてで、ここ数ヶ月どう過ごしていいのか分からなかった。母の事を思って家で一人泣いたこともあったが、普通に友達と遊んだり、セックスもしたりしていた。母は好きだしここまで育ててくれて感謝しているけど、母思いではない。母よりも自分のことが大事だし、何より快楽主義者だ。自分が楽しく合わせに過ごせることで、他者に思いやりが持てると思っている。母がこの世から去っても悲しみにくれるつもりは無い。母がガンに絶望感を突きつけられたこと思うと、別に心は痛まない。実家に帰って母とご飯食べることができないのは寂しいけど、母が家族に囲まれながら温かく人生を終えることができるならよいではないかと思っている。これからも自分のために生きていこうと思う。むしろ、今回を気にもっとわがままに生きていこうと思う。人生はいつ終わるかわからない。後悔なく過ごしたい。あと健康診断は定期的に受けたほうがいい。母は長い間検診受けていなかったので、腫瘍が見つかった時にはもう遅かった。早期発見ができれば結果は違ったかもしれない。僕は長生きしたいとは別に思わないけど、母みたいに腫瘍に苦しむくらいなら健康でいたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?