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【連載小説】怒らない恋人/第一章:1

■あらすじ 
由依の悩みは、恋人の大輝が女友達と仲が良すぎること。浮気ではない。ただの友人。やましいことは何もない。けれど、大輝が女友達について嬉しそうに話しているのを見ると不満が募っていく。ただの友人なのに、どうしてこんなに嫌な気持ちになるのか。
優しくて誠実だけど鈍感な彼氏。その彼氏に付録みたいにくっついている女友達。由依は心の平穏を取り戻せるのか。浮気じゃないし裏切りでもないけど、もっと罪深いかもしれない彼氏との戦い。

 
 浮気の方が、もっとずっとわかりやすい。私は、向かい側に座っている私の恋人、大輝ひろきの顔を睨み付けながら苛立ちを募らせた。なんとも間の抜けた表情だ。長めの前髪の隙間から何度か瞬きを繰り返す黒目がちの瞳。ちょっとだけ首を傾げる様子は、どこか子供じみている。彼は私よりも2歳年下だから、そう見えるのかもしれない。とは言っても、もう25歳だ。子供っぽくてかわいい!が通用する年齢はそろそろ過ぎようとしている。
 大輝は、さっきから困ったように何度も後頭部を掻き毟っていた。襟足が中途半端に跳ねている。長めの前髪と跳ねた襟足は一見するとオシャレに見えるけど、ただ無造作に伸ばしっぱなしなだけ。私が「そろそろ髪切った方がいいよ」と注意すると、翌週には綺麗に整えられている。
 大輝は視線を下げて真剣に考え込んでいた。彼が注文したコーヒーはとっくに冷めているだろう。
今日は彼がどうしてもこのカフェに私を連れて行きたいと言ったから私は嬉しくて、とても楽しみにしていた。忙しくてなかなか休みが取れない彼との久し振りのデート。それなのに、今は険悪な雰囲気。何故なら、私がパンケーキを注文しようとした時に、大輝が得意気に言ったからだ。「莉奈もパンケーキが好きなんだよ」って。

「やっぱり俺は、由依ゆいが何を不満に思っているのかわからない」

 大輝が真剣な眼差しで言った。ただのポーズではなく、彼は本気で私の怒りの原因を考えてくれているのだ。私がしつこく不満を口にしても大輝はちっとも怒らないで話を聞いてくれる。けれど、私がどれだけ説明しても、彼は私が何を怒っているのか理解できない。これまでもそうだったように。それでも、どうにかして私の気持ちを理解しようと努力してくれている。こんな時、私は彼のことを、誠実で優しい人だなぁと再認識して、苛立っているにも関わらず愛しさが募るのだ。私は彼の優しさを好きになったから。

「私の前で、莉奈りなさんの話をしないで」

 私はもう一度、自分の要求を明確に伝えた。この要求は、もう何度も何度も彼に伝えてきたことだ。それなのに、彼はすぐ忘れてしまう。私が要求をつきつけた翌日には、彼の口から「莉奈」という名前が飛び出してくる。私は、それが煩わしくて仕方ない。莉奈。彼女こそ、私の怒りの原因。

「そっか、ごめん。でも、莉奈は俺の大切な友人だから、そんなに嫌わなくてもいいだろ」

 そう。莉奈は、大輝の友人だ。ただそれだけ。元カノだとか、実は大輝に片想いしている女だとか、そういうややこしい関係ではない。ただの女友達。それなのに、私はその女友達の存在にずっと悩まされている。心が狭いなと自分でも思う。
 付き合い始めた最初の頃は何とも思わなかった。私にも異性の友達くらいは居る。けれど、大輝と莉奈の関係は、私をいつも追い詰めるのだ。友人という関係であるが故に。

「嫌ってはないよ。ただ、私の前で莉奈さんの話をされると複雑な気持ちになるの。わかる?」

「いや……。わからない」

「恋人の女友達について話を聞くのは嫌なのよ」

 そこまで言葉にしてから、自分はなんて嫌な女だろうと思った。恋人の友人を認められないなんて、束縛が強い嫌な女だ。もし、自分の男友達がそんな女と付き合っていたなら「別れた方がいいよ!」とアドバイスするだろう。そう考えて、私は一人で勝手に落ち込んだ。

「俺と莉奈はただの友達だよ。やましいことは何も無い」

「それはわかってる。でも、嫌なの」

 大輝と莉奈の間に恋愛感情が無いのはわかっている。あまりに仲が良いので疑心暗鬼になり、彼のスマホをこっそり確認してしまったこともあるが、何も無かった。それに、莉奈には同い年の恋人が居て、その恋人はイケメンで優しくて、仕事も順調。結婚前提に彼と交際中。先月、式場も何ヶ所か見学に行った。だから、大輝とは本当にただの友達なのだ。
 どうして会ったこともない莉奈について、私がここまで詳しく知っているのか。それは、大輝が私に話すからだ。聞いてもいないのに、莉奈についてぺらぺら話す。聞きたくもないのに「そう言えば、莉奈がね……」と、私の前で話し出す。私はそれを聞いているから、莉奈について必要以上に詳しくなる。顔も知らないのにここまで私の脳内を占めているなんて、いったい何者なんだ、莉奈。

「悲しいよ。莉奈は本当に良い奴なんだ。優しいし、話してて楽しいし、きっと由依も仲良くできると思うのに」

 莉奈について話すだけならいい。大輝はいつも、莉奈を褒める。「莉奈ってすごいんだ」とか「莉奈は偉いよ」とか、何故か私の前で自慢気に話す。私は、まるで惚気を聞かされているかのような気分になる。恋人が、私の前で他の女について惚気けている。そうとしか思えない。だけど、「莉奈さんを褒めないで」なんて、そんなみっともない言葉は流石に言えない。結果、私はいつも苛立ち、大輝と喧嘩になる。「私の前で莉奈さんの話をしないで! 」と。

「俺は由依のことが大切だから、由依が嫌がることはしたくない。どうすればいいか考えるよ。いつも苦しめてごめん」

 どうすればいいかって、大輝が私の前で莉奈の話をしなければいい。それだけだ。だけど、大輝は眉間に皺を寄せ、私に深く頭を下げてきた。いったい何が難しいのだろう。大輝は「どうすればいいか考える」と言っているけど、彼が何を考えようとしているのかよくわからない。だけど、もう疲れてきた。莉奈について議論するのは疲れる。

「わかった。私も言い過ぎた。大輝の友達を悪く言っちゃってごめんね」

「いや、いいんだ。それに、多少悪く言われても莉奈は気にしないさ。あいつ、本当にいい奴だから」

 胃袋がずんっ……と重たくなる。だけど、大輝が笑っている様子がとても幸せそうで、もう文句を言う気力が無い。せっかく和やかになった雰囲気を再び壊すのは嫌だ。
 大輝だって、友人について文句を言われるのはやっぱり良い気分がしないだろう。私も悪かった。私は莉奈についての不満を何度も大輝にぶちまけているけど、彼はいつも怒らないで真剣に受け止めてくれている。それは感謝すべきことだろう。大輝は私の話を真剣に聞いてくれる。
 莉奈も好きだというパンケーキを注文するのはやめて、私は別のデザートを選ぶ。大輝はにこやかにコーヒーを飲んでいる。私の不満は解消されないままだけど、大輝の穏やかで優しい空気感が私は大好きだ。

+++

「私だったら気にならないけどなぁ」

 休憩室で缶コーヒーを飲みながら、同僚の亜花里あかりがあっさりと言った。私は落胆しつつ、諦めてもいた。もし、自分が亜花里の立場だったとしても、同じことを言うと思う。彼氏の女友達の存在を許せないなんて心が狭いし、束縛しすぎ。もうちょっと余裕持ちなよ、とアドバイスするだろう。
 私と亜花里はコールセンター勤務。同期入社だから仲が良い。職場の人間関係に悩むことが多い私にとって、プライベートの話もできる亜花里は貴重な存在だ。

「本当にただの女友達なんでしょ?だったら笑って聞き流せばいいよ」

「私もそう思うよ。思うんだけどね……」

「隠し事が無くていいじゃない」

 亜花里の言う通りだ。隠し事ばかりする彼氏よりも、なんでも話してくれる彼氏の方が良いに決まっている。実際、大輝はとても誠実で優しい自慢の彼氏だ。私がこんなに憂鬱な気分を抱えているのに、大輝は嫉妬の感情とは無縁だ。私の気持ちをわかってほしくて大輝の前でわざと男友達の話をしてみたことがあるけど、彼はちっとも怒らなかった。「由依が楽しそうでよかった」と、にこにこしている。心が広い。広すぎる。
 莉奈について語る大輝に、何も隠し事は無い。というか、隠し事が無さすぎるのだ。莉奈とあれを話した、莉奈とここに行った、こんなことをした。莉奈はとても良い子で、彼女とは長い付き合いで、何でも話せる仲で……。
 思い返すだけで苛々してきた。少しは隠してほしい。自分の恋人が女友達とどこまで親密になっているかなんて、特に知りたくない。そんなに贅沢な望みだろうか?そもそも、大輝は私の前で莉奈の話をして、私にどんな反応を求めているのだろう。「莉奈さんは相変わらず素敵な人だね! 仲が良い友達同士で羨ましい! 」とでも言えばいいのか。⁠それこそ惚気じゃないか。

「由依、なんだか学生みたいなことで悩んでるね」

「だよね……。ごめん」

 亜花里が苦笑したので、私は恥ずかしくなった。言われてみれば、確かに学生みたいな悩みだ。彼氏が女友達のことばっかり話してて嫌だ!なんて、まるで中学生だ。仕事ではどんな理不尽なクレームも聞き流せるのに、彼氏の女友達の話を聞き流せないなんて馬鹿げてる。
 私はもう27歳。大輝とは将来のことも真剣に考えたい。だからこそ、彼氏の女友達について悩んでいる場合ではないのだ。それなのに、莉奈の存在はずっと私のことを悩ませる。もっと他に考えることはあるはずなのに。

「いっそ、莉奈って人に会ってみれば?」

「は?」

「仲間に入れてもらえばいいのよ。彼氏の友達なんでしょ?」

 なるほど、その発想はなかった。むしろ、どうして今まで思いつかなかったのだろう。
 もしかしたら、大輝もそれを望んでいるのかもしれない。莉奈に対する拒絶反応で思考がすっかり麻痺していたが「私も莉奈さんに会ってみたいな」と言えば良かったのか。
 それに、莉奈には結婚を約束している恋人がいるのだから、その彼も含めて4人で会えば、私と大輝の関係も進展するかもしれない。こうやって考えてみれば、莉奈と会うことは私にメリットしか無いような気がしてきた。急に元気が出てくる。
 本当に、どうして私は莉奈のことをこんなにも疎ましく感じているのだろう。友人に莉奈の件を相談すると、全員が「嫉妬」「ヤキモチ」だと答える。実際、私も自分の感情を言葉で表すのなら、その単語が適切だとは思う。だけど、莉奈に関してだけは、何かが腑に落ちない。

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