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全肯定されることのすごいパワー

身をもって体感した。

ここ数日本当にキツくて。
占星術的に言えば新月前後と当日だったからその影響がモロだったとゆうことなんだなぁと。

次々と襲いかかってくる苦しみ

出来事としては
息子とのこと、仕事のこと 、を主に通じて

これでもか これでもか と
全てに共通していたのは
『自分自身との向き合い』

今までの生き方 考え方 その結果
失敗したことや 罪悪感


見たくなんかないこと 認めたくなんかない姿

総動員で襲いかかってきた感じがする。

目を背けてきたこと 逃げてきたこと
そのしっぺ返し 報い


だからもう 消えてしまおうと思った

いいよもう 私は逃げる
もう向き合う気力なんかこれっぽっちも残ってなかったから

日常のことを必死にこなしながら
今思えば 逃げることすらも認めていた

………………

そんな時だった

『あなたは何も悪くないよ!』


無条件で全肯定された


それが全てだった


理屈で、こうだからあーだから肯定する
とかじゃなくて
もちろんその人なりの理念の元だったかもしれないけど

"まず、とにかく、いの一番に、全肯定の前提で自分自身を受け止めてもらえたこと"


そのパワーは凄まじかった

今まで晒してきたどんな自分も
あの日の自分も

ノージャッジで。
抱きしめてくれた

つらかったよね
苦しかったよね
悲しかったよね
頑張ったんだよね


全てを肯定するってこーゆうことで
それで感じるのってこんな感覚なんだって
味わえた気がした。


暖かくて 安心して 優しくて


…………………


それから
淡々と 自然に 夜明け前の空のように暗闇は明けてきて

向き合う勇気が湧いてきていた

また、1歩踏み出す勇気が。


償おう
1歩でも半歩でもいい また歩こう

そう思えた



今思えば、私がしたことは、
苦しかったけれど 味わい続けたとゆうこと

自身を責め続けたし 逃げることも許可したし
自身に正直に行動した
誰かに話したかったら話したし 嘘偽りなく思いを出したし

"苦しかったけど
その時その時をやり切った "

と、今ならそう思う。

感情にのまれていたかもしれない
ちゃんと向き合えてなかったかもしれない
上手くできてなかったかもしれないけど

"そんな自分ですらも、認めていたし、やり切っていた"


そうして歩いた先に、わずかに見えてきた光だった



私は、この事を誇りに思いたい。
私は、この事を忘れたくない。

どんなに無茶苦茶な自分だったとしても、
それをやり切ったとゆうこと

今までみたいに、なんとかしようとしたんじゃない。
ちゃんと、その時その時をやり切ってた。

そうして、自然の流れの中に出来事があって
自然に変化があったとゆうこと



そして、無条件に抱きしめられることの
暖かさと安心感

これが、何より大切で
全てで
いの一番だってこと



そうしてあげたい これから私に

私が誰かに

私が 私に。

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