「正欲」を読んで思ったこと

登場人物について、存在としての自分と自分の持つ性質や属性とを分けて考えていない人ばかりだった。ある特定のジャンルでマイノリティであることが人生全体に影響を及ぼすこと自体は私自身も実感としてわかる。一方で、その意識の延長線上には、実際は関係のない領域までマイノリティ性やその属性・性質が影響していると誤推論してしまうことに留意した方がいいとも思う。だから、辛いときは、「〜が〜だったから」とか下手に理屈をつけず、ただ辛いと表現した方がいい。普段からアレコレ考えまくるタイプならまだしも、何かあった時だけ急に理屈っぽく説明っぽくなるタイプなら特に間違いやすそう。そして、できれば健康な平常時から考えるようにした方がいいと思う。

「〜という属性・性質を持つ人間だから良い/ダメ、人生が簡単/困難」。一部の属性・性質に関してレッテルが貼られるのは、それがその属性・性質によって「問題が発生しやすい」とか「周りや自身が得しやすい」などと思われているとかいう意味でしかない。言動の責任がぴったりと個人に収まるような想定にしないと、そういう幻想を共通させないと社会側は対応に困るという話で、実際は厳密に考えて個人という境界線で判断できるのか怪しい。それを踏まえてできるだけ自律を心がけ法律を遵守して暮らしても、誰も見ていない一人になったときでさえも、「自分は〜という属性・性質を持つ人間だから良い/ダメ、人生が簡単/困難」と性質を存在や人生(つまり全体)に還元する癖がついているのだろうと思った。存在の中の一部の性質を、その存在が存在していけない理由に貶めることはできないし、存在して良い理由とするのも違うと思う。ある性質を理由にその存在を肯定したり否定したりしても、誰も尊重されないし、どっちかといえば他者/自己理解から遠ざかるし、多くの場合問題解決との直接的な因果関係もみられないと思う。属性や性質を理由に積極的に存在を肯定される≒得する側が生まれるかもしれないが、それはその存在が尊重されているという意味にならない。(快不快軸と尊重軽視軸とを混同してしまう人がいるのはなぜだろう。多分、「自分がされて嬉しいことや嫌なこと」がマジョリティすぎて、その基準が社会的に準マナー化されている?快の過剰摂取で体を壊した経験があまりないか無頓着?いや、それ以前に自尊心の問題か…… etc)

ただ気がついたのは、なんだかんだ言っても、私自身は異質な他者に理解されようとする努力はある程度は結実すると思っているということだ。もし自分自身について(時間や状況的に)結果誤解されたままだったとしても、似たような人々が生きる土壌がマシになるなら「誤解を解こうとしてますよ」ムーブも含めてやっぱりやった方が良いのかなと思えた。


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