模倣する側が失っているもの
マネされ作家の心情日記 4
≫ 模倣はある意味癖か中毒か
模倣する人はずっと模倣しつづけます。
その内容は人が考えたデザイン・配色、文章の言い回しに選ぶ言葉、写真の構図や撮り方などなど、あらゆることに対して行われます。
ものづくりと真剣に向き合っている者からすると愚かで恥ずかしいことです。
なぜかって?
だって自分がない、自分は空っぽですと表明しているようなものだから。
今日も某フリマサイトで発見した私のデザインと構図。私があげたっけ?と思うようなものを発見しました(苦笑)
もうこういうことする人達って、良いものは盗めばいいって安易に考えすぎていて、模倣行為に対してのハードルは存在せずフラットな状態なのだと思います。
模倣=楽に稼げる
なんでしょうかね、その短絡的な思考に呆れますほんと。
これはもう中毒か悪い癖ですよ。
≫ 模倣行為で失うもの
自分たちが模倣をすることで失っているものがあることを、彼らは知らない。
皆さんはなんだと思われますか?
長年模倣され続けていますが、被害にあう度に感じることには段階があり、
まずは怒り、そして呆れ、悔しさ、そして諦め。
感情の順番は前後することもありますが、最後は諦めに行き着きます。
そして、上記のような感情がわいてくる理由は何を隠そう自分で一から考え、試行錯誤を経て完成させたデザインや文章、写真の構図だからです。
そこには試行錯誤した分のノウハウが詰まっています。
でも、
人のアイディアやデザインの表面だけをすくってスライドさせるだけの模倣行為にはそれが全くない。
つまり盗んだり奪ったりすること(または人に任せること)で、経験値が一生上がらないんですよ。
だから彼らは盗み続けるしかない。
自分にフォーカスできない人たちはずっと中身のないものを作り続けます。
ま、模倣する人の目的は作ることではなくお金ですから、経験値は必要ないのかもしれませんが。
≫ 想いは模倣できない?
ハンドメイドは芸術品ではないにしても、作ったひとの思考や感情、想い、人間性を総合してつくらるもの。
だから尊いのだと思っています。
話は少しそれますが、真似や模倣をされた方がSNSなどに発信されている内容にときどき出てくるこの言葉。
"想いまでは盗めない・模倣できない"
そうでしょうか?
残念ながら想いは見えません。想いそのものは無形なものなので、文字通り”盗めない”のですが、
多くのお客様にとって、視覚的に確認できない”想い”は強みとして認識してもらえないことがほとんど。
ただこれはネット上ではという話で、
リアルに販売する場合には人間性や人柄、想いもちゃんと受け取っていただけることも多いと思います。
でもネット上の販売では、想いを視覚化するって誰にでもできてしまうんですよ。もちろん本質的なことではなく表面上に限った話ですが。
現に私が思いを綴っていたブランドイメージの文章をそのまま映像化し、海外のモデルさんなどをつかって視覚化されたことがあります。
そのとき思ったんです。
ああ、お金があればこういう”想い”まで他人が模倣できてしまう世界なんだと。
とても虚しく落胆したのを憶えています。
≫ まとめ
ネット上で自分の想いを強みにかえるのは至難の業であり、必ずしも盗まれないわけではないことを知りました。
嫌な世界です。
現代の世の中はお金至上主義。
資金があればなんでもできてしまう、道徳が大きく欠落した世界となってしまっていると感じます。
本来は盗まれなかった無形の想いでさえ盗まれるのですから。
ネット上で視覚化できるものの全てが模倣される対象となり得ます。
人が物をつくるという中にある純粋な心やその本質を、どうやって守っていくのかはあらゆる製品にとって、今後の大きな課題ではないかと思います。
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