本当にそれでいいの?
マネされ作家の心情日記 5
≫真意の謎
SNSを眺めていると流れてくる動画によくある、『パクられた』『丸パクリされた』という投稿。
そしてその最後にはこう締めくくられます。
『パクってくれてありがとう』『どうぞパクってください』
…と。
個人的には全く意味がわからないですが、、、投稿主がこのような発信の裏で何がいいたいのかを仮に想像してみました。
解釈1:
『私は模倣を気にするような小さい器ではない』
解釈2:
『かわいそうな私』
解釈3:
『模倣されるほど魅力的』
といったところでしょうか…。
上記はただの想像なので真意は本人にしかわかりませんが、どの投稿にも少なからず投稿主の怒りや悲しみがうかがえます。
≫パクられ発信のメリット・デメリット
今回のようなパクられたという発信には、投稿者側にもなにかしらのメリットを見越してつくられているのだと思うのですが、、、一方でデメリットもありそうです。
それは発信者にとってもそうなのですが、閲覧している側の人にも悪影響があるのではと感じています。
発信者側の意図としては前述したような心情のほかに、ビジネスとしての集客だったり、模倣している相手への牽制の意味もあると思います。
これらはメリットですよね。
ではデメリットはなんでしょうか。
そもそもこれらのパクられ発信最大のまずいところは、
パクられた側がパクった側の行為を容認、または推奨している点にあります。
つまりは模倣してもいいという環境を作ってしまっているんですよね。
ここが本当にまずい。
発信している側はそんなこと考えてもいないでしょうけど。
≫ 発信する前に
この模倣を容認、推奨するような投稿をするということを、もっと突き詰めて考えていくと、
そこには発信者の責任や信用にも関わってくる部分もある。
その時はそれでいいかもしれない。
でも模倣されただけの責任をもたない情報が増え続ければ、真の情報を探し当てることはより難しくなり、
本家が意図しない形で世の中に広まってしまうことだってありえます。
もし今、集客のためだからとパクられ発信を考えている方がいたら、発信する前にもう一度、
自分にとってのメリットだけでなく、その情報を発信することで社会にどんな影響を与えることになるか、、、ということもぜひ考えてみてください。
≫ まとめ
ここまでいろいろ書いてきましたが今回の結論。
パクられ発信をするのであれば、最後はかならず模倣の防止や抑制に寄与する内容での発信を望む。ということですね。
そうでないと、
模倣する側が得をする社会、搾取することが正義となり兼ねない。
自分が一生懸命考えて作った動画や投稿、商品をパクられることを安易に許さないでください。
自分の器の大きさと関連付ける考え方も良くないと思います。
いいんですよ、怒って。
なにも恥ずかしくないです。器の大きさ関係ありません。
傷ついた心を偽らず認めることは大事です。自分にとっても社会にとっても。
自分を大きくみせるために悪意ある模倣行為を容認、推奨してもメリットが薄いだけでなく、この先も模倣で傷つく人を増やすだけです。
もっと素直にいきましょう。
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