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発達障がい児って野生動物に似てる

発達障がい児って、野生動物の感覚が強い気がする。
警戒心が強いと言い換えてもいい。

不安を感じやすい、と私はよく言われるし、自分でもそう思う。
また、新しい環境に慣れるまで時間がかかるし、知らない人は問答無用で怖い。

常になんだか予想外の攻撃に構えている、みたいなところがあると思う。

なんでだろ? と考えてみたが、事実として予想外の攻撃を受けることが多いからではないか? という結論に落ち着いた。

もちろん攻撃と言っても、私の場合はいじめられたことや、リンチにあったことなんかない。
でも、定型発達の人は全く辛くなくて、私たちがすごく辛いことが、それなりの頻度である。

例えばそれは、急な予定変更だったり、強い香りだったり、すさまじい音だったりする。
定型発達の人が「へえ~」と流せることが、攻撃並みにしんどく感じる、というのはあるあるだと思う。

それから、やっぱり自分たちがどこか「異質だ」ということも警戒心を強めている理由じゃないかなあと思う。

昨今は発達障がいになりたい人もいると聞くし、在り方が少し変わってきているのかもしれないけど、やっぱり発達障がいというのは、そういう言葉をあてはめられてしかるべき違いがそこにあるのだと思う。

異国に言ったらむやみに警戒心が強くなることがあると思うけど、「自分はみんなと違う」という環境で警戒心が強くなるというのは当たり前の動きだなあと思う。

「自分はみんなと違う」「自分は傷つけられやすい」という自覚が警戒心をすごく強めているのかなあ、なんて思った。

だからこそ、家とかほっとできる場所は貴重だし、そこで長時間過ごすことが心のエネルギー補給になる。

外にいるということは、どれほど楽しい場所でも、「いつ敵がやってくるかわからない!」というセンサーを使っているということで、そりゃあ疲れるよなあと思った。

ちょっと違う話だが、野生動物っぽいというのはほかの面もある。

例えば、素早いものを捕まえるのがとても得意だったり、自然が大好きで、手を離すと山へ駆けて行ってしまう、という発達障がい児の話を聞いたことがある。

発達障がい児の要素で親御さんがよく困るのが多動だと思うが、それもなんだか野生動物っぽいな、なんて思ってしまう。

野生動物が社会で生きるの辛いよなあ、頑張ってんなあ、なんて自分でもちょっと納得してしまった。

安心できる場所から引き離された野生動物のような感覚で社会を生きている。
そう思うと、自分よく頑張ってるなと思うし、みんなもよく頑張ってるなと思う。

みなさん、今日もお疲れさまでした。

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