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発達障がい|パニックと見捨てられ不安

大学に復学して、一週間が経った。
先週は木曜日あたりから崩れ始め、木曜の夜、金曜日の朝とずっとパニックを起こしていた。
パニックを起こす過程で、誤解が生じ、父に怒鳴りつけられるという事件が起きた。これにより、ただでさえひどかった、見捨てられ不安が爆増した(父も誤解によって傷ついていたので、父が悪いわけではない)。
そこで、この「見捨てられ不安」というものについて考えてみた。

まず、パニックを起こしているわたしは、すごくすごく自己肯定感が低くなる。
「こんなに授業数を減らしても大学に行くのが辛いなんて、なんてわたしはだめな人間なんだ」
「こんなんだからだめなんだ」
とネガティブ発言が次から次に出る。しまいには、生まれてこなかったらよかったんだ、と思う始末である。
 しかし、この「自分はだめだ」という思考は、たぶん、見捨てられ不安からきている。

正確には「大学にいくのが辛くてパニックを起こし、親に迷惑をかける自分」は、だめなんだ、と思っているのである。
実際、パニックを起こさず、「今日は無理だから行かない」といってベッドに戻っていく日はこんな自己肯定感が下がることもないのである。
つまり、「親に迷惑をかけている」というのがキーポイントなのだと思う。

学校に行くというただそれだけで、涙が止まらなくなり、嗚咽が出たり、体が締め付けられるような感じがするのは辛い。
しかし、ほんとうに辛いのは、大事なひとたちに迷惑をかけている、という感覚だ。
こんなに迷惑をかけたら見捨てられるのではないか、という不安だ。

もちろん、両親が「そんなことしてたら捨てるよ」だとか「もうあんたはうちの子じゃありません」とか、「捨てた」に該当する発言や行動をしたことはない。
しかし、ただでさえパニックを起こし、不安という不安が増えている状態では、見捨てられるかも? という明らかにネガティブすぎる不安もリアリティがあるように感じてしまうのだ。
ああ、見捨てられるかもしれないって不安なんだね、怖いよね、と自覚したら、それだけで少し楽になった。もちろん恐怖はまだある。つらさもまだある。
でも、学校に行けなくてパニックを起こすことが、また違う不安を生んでいるという悪循環に気づけたのは大きな一歩であろう。

とある本で読んだことばがある。
「親は自分が愛していることばかり考えているけれど、子どもも親を愛している」というような文章だった。

わたしも、親が大事だからこそ、迷惑をかけたら落ち込む。
でもかけてしまう。
この矛盾が苦しい。

でもとにかく、わたしはひとつの気づきを得たのだ。
いつもごめんね、おかあさん。そしてありがとう。

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