オレンジ/ネムリヒメ/②teenageeve
オレンジ
ネムリヒメ
③teenageeve
病室の壁に寄せられた四本足の丸椅子を体全部を使って抱えて、理比ちゃんの眠る枕元まで運ぶ。どの足も引きずらずに浮かせて、静かに着地させる。そうして浅く腰かけて、線や管にひっかからないように気をつけながら、屈伸運動をするみたいに両手を広げて理比ちゃんの胸元にほっぺたを沈める。シーツの上にはピーナツのタオルケットが広げられている。ライナスヴァンペルトのブランケットの裾野に顎をのせてスヌーピーが平たく眠っている。私はスヌーピーに頬ずりするように目を閉じて安心の上に安心を重ねる。
理比ちゃん、私は明日十歳になるよ。誕生日よりも前の日の方が大事なんだ。理比ちゃんは云っていた。うん。そりゃ誕生日も大事だけどね。感謝の日だからね。なんとなくわかるよって私は答えた。知った風に。始まる日よりも終わる日なんだねって。
確かに。十九から二十になる時はいろんなことを思うだろう。それは何か普遍的な色合いを持って。二十九から三十になる時だってそうだろう。その時は置かれている状況人それぞれに。でも九歳から十歳になる時はどうなのかな。あとからどのくらいの人が覚えているのかしら。感傷も決意も後悔もおそらくまだない。終わるというより始まるという感覚の方が強いのかもしれない。
三週間前。理比ちゃんは会社の階段から転落した。きれいに裏返って倒れていた。宅配の人がビルに入ってくるまで発見されなかった。意識が戻らないまま自宅から近い病院に転院した。不注意。不運。おっちょこちょい。周囲は私にそんな言葉を伝えた。でも両親が病院や祖父母の家を行き来するのにへばりついているうちに、なんとなく理比ちゃんが職場で理不尽な目に合っていたことが伝わってきた。大丈夫大丈夫と笑って、てきぱきとそして細心にたくさんの作業をこなして、理比ちゃんの負担は加速していった。視点を変えて伝えるなら、食い物にされていた。私たちにはわからない回路がプログラミングされた人たちに。具体的な記述で物語を汚したくはない。薄ら笑いを浮かべ乍ら、自分が所持する汚れたものさしを当てて人を測って、測った相手を汚そうとする様な人種だ。でも、物事には側面がある。だから私がこんな風に理比ちゃんの状況を訴えたとしても、私も理比ちゃんのことも知らない人はそれをまるごと信じるだろうか。本当のところはどうだったのかなんて考えるんじゃないだろうか。そこへまた重ねるように私からの理比ちゃんへの信頼を語っても、何の効果を得られようか。だから私はもうそんなことはしない。世の波をこちらに引き寄せようとは思わない。ただ、私が理比ちゃんを信じる。わかっているよと笑ってあげる。不特定多数の同意を得られなくてもそれで十分だ。そうでしょう。私は理比ちゃんがどんな人か知っているよ。
理比ちゃんは眠りたかったんじゃないかなと思う。毎朝五時に起きて、日の長さが変わるのを測りながら出勤して、帰りはいつも真っ暗だった。お休みの谷間も、お休み前にたくさんの人が浮かれて帰る時も、たいていお仕事をしていた。クリスマス。うちの家族は三人で祖父母の家に泊まりに行った。理比ちゃんは十時過ぎに帰ってきた。着替える前に私と写真を撮った。チャコールのトレンチコート、アイボリーのニットとネイビーのジャージパンツ、ペイズリーのスカーフ。私はカーキ色のコーデュロイのジャンパースカートの胸元に手を差し込んで屹立している。理比ちゃんはあぐらをかいてふっくらとした私の横顔を斜めに見上げている。それから理比ちゃんはおかあさんの用意したチーズフォンデュを一人で食べた。ホールケーキの前でⅤサインをする私の写真も理比ちゃんが撮ってくれた。みんなで理比ちゃんが帰るまで六等分せずにいたのだ。左下に12242017の日付が入っている。あれから一年だ。休みたかったんじゃないかな。おばあちゃんに云うと、そうだねと静かに笑った。でも本当は誰にも云っていないことがある。
理比ちゃんが倒れている時、ビルの入り口のドアは開け放たれていた。十一月の気持のいい水曜日だった。大小のオフィスビルが連なる通りには銀杏並木が続いていて、歩道にはぎんなんがころころと転がっていた。ひんやりとした風につぶされたぎんなんのにおいが混ざってビルの中まで届いていた。私はその日校庭で逆上がりの練習をし乍ら、ふんわりと流れるぎんなんのにおいを嗅いだ。くるりときれいにまわって両腕をぴんとはってから、半回転して鉄棒にぶらんぶらんと揺られた。そうしてそっと手を伸ばした。校庭は裸になった桜の木に半円分囲まれていて、銀杏の木なんてどこにもなかった。私は理比ちゃんの手をつかもうとした。届かなかった。理比ちゃんは望まなかった。眠りたかったのだ。
なんとなく気配を感じていた。でもその時は深刻に考えなかった。あれって思ったくらいだった。十月の連休に両親、祖父母、そして理比ちゃんといっしょに旅行に行った。旅行といっても日帰りで行けるくらいの近場で、ただみんなで温泉に入り、並べられた料理をいただいて、大部屋に布団を敷きつめて、ゆっくりと過ごした。提案者は理比ちゃんで、全員の分の旅費を出すと申し出た。車を出すのは葉一くんなのでと添えて。葉一くんは私のおとうさんで理比ちゃんの弟だ。結局二家族で折半になったみたいだけど、ドライブインの自販機の壮大なラインナップを見上げていると、おとうさんは私をひょいと方向転換させてぽんと理比ちゃんの胸に飛び込ませた。ほら。何でも買ってくれるって。奮発できなかった理比ちゃんの消化不良をタピオカジュースで充足させようとする。私の家族は優しい。理比ちゃんはいつかこの人たちに大判振舞みたいなことができなくなると思ってたんじゃないかな。
翌朝、旅館からの帰り道に大きな神社があって出店がいっぱい並んでいた。お祭りの季節のど真ん中だった。おとうさんとおかあさんは屋台で足をとめている。私は理比ちゃんに擦り寄って、お邪魔みたいだからこっちに来たよと云った。仲良しだね。理比ちゃんは笑った。二人は鈴カステラの袋を三つ抱えて帰ってきた。そうして理比ちゃんに一袋渡した。理比ちゃんのおうちの分だ。あったかいなと理比ちゃんは云った。なんだか幸せな気分になるよ。幸せな食糧だなあ。
九歳から十歳になる時のことを覚えている人なんてそんなにいないだろう。記憶に残る節目はもうちょっと先に来るものなのだろう。喪失感も、心残りも、ミッションもまだ自覚はない。でも思う。もう、気づかなくなるんじゃないかな。遠くから理比ちゃんに手を差し伸べたあの感覚はもうつかめないんじゃないかな。年齢の隣の0が消える時、人は何かを失うのかもしれない。病室の窓に大きなオレンジ色の三日月が揺りかごみたいに浮かんでいる。ねえ、りーちゃん。みそらは明日十歳になるよ。Teenageeveだよ。そろそろ起きてよ。
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