集団と個性

※地球上の一人の考えです。

個の時代だと言われてる昨今。
「個性」とは一体どういう事を指すのだろうかと、たまに考えてみる。

例えば、
「個性を伸ばそう」という類のコミュニティ。
果たしてその群れは本当に「個性」を作り出すものなのだろうか。と考える。

むしろ群れの中にいる限り同じ考え方を持つ「ただの集団」にはならないのだろうか。

人は案外簡単に、周囲の人間の影響を受ける。
そう考えると、集団の中で過ごす時間が長ければ長いほど影響を受けやすくなり、「個性」というものが埋もれていく事になる。

そもそも「個性」とは、何をどこまでのことを定義しているものなのだろうか。

それぞれ考え方は違うもの
物事の捉え方は違うもの
表現の仕方は違うもの
顔つきや体格も違うもの
忍耐力も違うもの
センスも才能も違うもの

結局のところ個性とはいい加減なもので、個性的だと言われている人も、ある人にとっては普通だったりすることもある。

ざっと個性的を想像する人を上げてみる。

自分軸がしっかりしている人
奇抜なファッションをしている人
人に合わせられない人
突飛推しもないアイディアを出す人

だがこれも、それぞれ同じ人たちが集まると「個性」とは言わなくなるのではないだろうか。

逆に「個性」がないと言われる人もいるでしょう。
しかし、その人の周りに自分と似たような人がたまたま多いだけかもしれない。

そもそも個性を伸ばそうとという試みも個人的には腑に落ちないことである。

個性を伸ばしたいと思い、無理をし空回り大事な人や時間、場所を失う事もあるだろう。

個性とは人から学ぶものではないのではなかろうか。

この問いに答えはないのだけれども、帰り道はこういう事を考えることがしばしば。

なんでもそうだけど、「人それぞれ」
「個性」というのは賢い誰かが勝手に作り出した言葉に過ぎない。

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