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人はなぜ不正をするのか。止めることはできないのか。その4―「韓非子」の人間不信

なぜ人は不正をしてしまうのか。
それは、もって生まれた性質と、どう関係しているのか。

企業において、弱い立場にある社員が、組織的な圧力に屈して、自らの良心に反して、不正に加担してしまう。それを防ぐには、どうすればいいのか。
 
古代中国の人間観、思想をおさらいすることで、組織において立場の弱い人が不正に加担してしまう理由を探るシリーズ。第4回。

「性悪説」を発展させた『韓非子』「法家」の思想

 荀子の唱えた「性悪説」がどういうものか。
 このシリーズの第3回で紹介しました。
 荀子の考えるところは、性なる「悪」を、「礼治」や学問の働きによって、「善」へと持っていく。それによって、社会がうまく収まる、というものでした。

 荀子の「性悪説」を学び、法家の思想を統合して、その考え方をまとめたのが、韓非子の『韓非子』でした(*著者の韓非が荀子に直接学んだかどうかは、諸説があります)。

 ただ、「性悪説」に依拠する荀子と韓非子でしたが、両者がたどり着いた人間観は、違ったものとなりました。
 湯浅邦弘大阪大学大学院名誉教授は次のように述べてます。

 荀子は性悪説を主張しましたが、人間に根源悪が内在する、と指摘するものではありませんでした。礼や学問によって、人を善に導こうとするもので、人間の大いなる可能性を認めるものでした。

 それに対して、韓非子はどうだったのか。湯浅名誉教授の説明が続きます。

 韓非子は、人間の本姓が善だの悪だのとは言いません。
「人は利によって動く」という冷徹な人間観を持つに至りました。そして、人を動かすための「法」と「術」の必要性を説くのです。

            『ビギナーズクラシックス中国古典 荀子』より

徹底した人間不信の人間観

 韓非子の人間観について、もう少しみてみましょう。
 中国文学者の守屋洋先生は次のように説明しています。

 『韓非子』全編を貫いているのは、徹底した人間不信の哲学である。
 人間を動かしている動機は、何か。
 愛情でもない、思いやりでもない、義理でも人情でもない、ただひとつ利益である。
 人間は利益によって動く動物である、というのが『韓非子』の認識であった。(略)

 その認識のもと、どういう考え方、行動をとるようになるのか、守屋洋先生の説明が続きます。

 それぞれに立場が異なり、それぞれに利益が異なる以上、頭から相手を信頼してかかるのは、とりかえしのつかない失敗を招く恐れがある。(略)
『韓非子』は、こう言う。
「相手が背かないことに期待をかけるのではなく、背こうにも背けない態勢をつくりあげる。相手がペテンを使わないことに期待をかけるのではなく、使おうにも使えない態勢をつくりあげる」

『韓非子』は、こういう覚めた人間観の上に立って、独特の統治理論を展開し、リーダーのあり方(部下のコントロール、組織管理)を追求している。                
                    『韓非子 強者の人間学』より

「悪の管理学」が人の不正を防ぐ

 韓非子が唱えたのは、法による統治「法治」でした。
 世を統治し、人を動かすためには、徹底した人事管理をする。それによって、組織や国家は強くなる。
 彼の思想を全面的に取り入れて中国統一を成し遂げたのが、秦の始皇帝でした。

 しかし、その秦も始皇帝の没後、短期間で崩壊してしまいます。
「法治」が行き過ぎて、皇帝の意思が「法」と化してしまい、独裁国家になってしまったのです。それに対して、人民が反乱を起こしたのでした。

 ともあれ、荀子の「性悪説」からさらに踏み込んで、人間不信を前提にした『韓非子』の「悪の管理学」の考え方が、人の不正を防ぐには、いちばん有効な考え方といえるでしょう。

 なのに、それが組織において徹底されないのは、なぜか。
 社員や従業員の良心を信じていない、不信感を抱いている、という受け止めれるマネジメントをあらかさまにすれば、会社のイメージダウンになる、社員の心が離反してしまう、求人が難しくなる、といったリスクがあるからかもしれません。
 しかし、その一方で、就業規則や雇用契約書、業務マニュアルなどにおいては、ルールの徹底が厳しく明記されている、というところがあります。


「性善説」「性悪説」以前の考え方―孔子は理想の徳として「仁」を掲げた

孔子の教えと孟子の「性善説」との関係について

『荀子』の「性悪説」について


 次回の最終回では、人が不正をしないようにするには、どの思想・考え方によるのがいいのか、をみていきます。
 



 


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