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家族やスタッフが過ちを犯したとき、どう注意を促すのがいいのか―『菜根譚』

水清ければ魚棲まず

 よく知られた中国古典から、私などその書籍の存在さえ知らないものまで取り上げて解説されている泉聲悠韻様のnote投稿。畏敬の念をもって拝読させていただいている。あるとき思い切ってコメントしたところ、心優しく、しかも気さくな感じで、対応くださった。

 そして、前々から、泉聲悠韻様の投稿にコメントを寄せていらした大先輩格の安達昌二様が、私のコメントをあたたかく見守ってくださるのも、ありがたい。

 碩学(せきがく)のおふたりの卓越した見識と洒脱なやりとりに、敬服し、そしてまた刺激を受けています。

ということで、今回は『菜根譚(さいこんたん)』の一節「水清ければ魚棲まず」について、泉聲悠韻様が投稿され、それに触発された話を。

まずは「水清ければ魚棲まず」と題した泉聲悠韻様の投稿を一読ください

 この投稿を拝読して、次のようにコメントさせていただきました。


「水清ければ魚棲まず」。
『菜根譚』の作者・洪自誠が説いている通りですね。

いかに立派な大義名分を掲げても、
痛みを伴う改革が、志半ばで頓挫することが多いのは、その証左でしょう。

自分には厳しく、他人には寛容でありたい。
ところが、人というものは、
自分には甘く(寛容で)、他人に厳しく接してしまいがち。
結果、人心が離れていく。

それはそれとして、どれだけ温情をかけても(良くない事も大目に見てあげても)、
反省もせず、自分の権利を主張し続ける人、袂を分かつ人は出てくる。

なので、自分が苦しくならない程度に、
是々非々でモノゴトを処していくのがいい。
そんなふうに思います。


 このようにコメントしたところ、泉聲悠韻様からは、お人柄が伺えるお返事をいただきました。
 
 直接、面識のない方とnoteを通して知り合い、知的な刺激やアドバイスを受けることができる。そのことが嬉しくなり、『菜根譚』をひさしぶりに読み返してみました。

家族が過ちを犯したときには?

『菜根譚』では、多岐のテーマにわたって、短い言葉で著者の洪自誠が、思うところを綴っています。生き方のヒントを綴ったエッセイとして、自分の人生と照らし合わせながら読めるのが、いいところです。
 老荘思想や、仏教とくに禅の教えをもとに展開しているものなど難解なものや、関心が向かないテーマは、読み飛ばせばいいのです。

 パラパラと『菜根譚』をめくっていくうちに、心に飛び込んできたのが、次の一節。
 家族が過ちを犯したときの対象の仕方、心得について、述べたものです。
著者の洪自誠自身の体験か、身近にいる人間の出来事を思い返して、綴った教訓だと思われます。

 訳文をみていきましょう。

 家族の者が過ちを犯したとき、声を荒らげてどなりつけてもいけないし、黙って見ない振りをしているのもよくない。
 他のことにかこつけてそれとなく戒めるのがよい。
 それで効果がないときは、時間をおいて、別の機会にまた注意を促すことだ。春風が氷をとかすように、おだやかな態度で臨む、これが家庭の和を保つ秘訣である。

 簡明でいて本質を衝いた、見事なアドバイスです。
 まるで現代の家庭事情を見越して、対処法のアドバイスを聞いているのではないか。そう思えてきます。
 家族関係のあり方は、中国と日本とでは違うところもあります。
 それはさておき、家族や身内がトラブルを起こした場合、その接し方を慎重にしないと、ひびが入って、取返しのつかないことになってしまう。感情的になっていけない。デリケートさが求められた、という意味では、明の時代も、核家族の現代日本も、同じようなもの、と言っていいでしょう。

スタッフをミスを見て見ぬふりするわけにはいかない

 そして、これは現代の企業や共同体などにおける人間関係にもあてはまることでしょう。
 スタッフのミスやいたらないことについて、どう対応するか。見て見ぬふりをしてやり過ごすわけにはいかない。相手先への謝罪や損害賠償などを求められる場合もあります。

 トラブルにならない程度のミスのときにはどうするのか。
 やや厳しい調子で叱責したり、注意をすると、すぐにパワハラだと言われてしまう。機嫌を損ねて、やる気を削ぐことになる。
 かといって、問題点を指摘しておかないと、本人が自ら反省し、同じ過ちをしないように修正する、というステップに進まないことでしょう。
 ともかく、おだやかな態度で臨む、ということを心がけて。

 最後に、書き下し文を。

家人(かじん)、過(あやま)ちあらば、
宜(よろ)しく暴怒(ぼうど)すべからず。
宜(よろ)しく軽棄(けいき)すべからず。
此の事言い難(がた)くば、他の事を借りて隠(いん)にこれを諷(ふう)せよ。
今日(こんにち)悟(さと)らざれば、来日(らいじつ)を俟(ま)ちて再びこれを警(いまし)めよ。
春風(しゅんぷう)の凍(こお)れるを解(と)くが如(ごと)く、
和気(わき)の氷(こおり)を消(け)すが如(ごと)くにして、
纔(わずか)にこれ家庭(かてい)の型範(けいはん)なり。

『菜根譚』

本文中で名前を掲出させていただいた安達 昌二様の漢詩に関する投稿も、ぜひご一読ください。


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