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#2 六文銭は用意できないので、愛でどうにか。

「兄貴に仕事誘われとる。
じゃけえ今の仕事は辞める。
3億円くれるって約束したんじゃ!!!
それあったらなんができる?
家のローンも終わる、
お前らぁの分の学費も生活費も全部払っちゃる。
のう、信じてくれ。
何回も説明したろうが。
絶対入る金なんじゃ――――。」


騙されてぼったくられて、親戚中から反対されながら親父が建てた真っ白な家。
そこに私が1年ぶりに帰省をしたら、腰の悪い50過ぎの親父が急に3億もらえると言い出した。
その日は忘れもしない、2011年3月15日。
数日前に東北の大震災が起きて、テレビでは大震災のニュースしかやっておらず、東北出身の大学の同級生は被災していてまだ連絡が取れなかった。
そんな時にこんなしょうもない親父が心配で心配で、お金もないのに夜行バスまで使って飛んで帰ってきたことを、ものすごく申し訳無く思った。

「じゃあ分かった。3億もらえるのは信じるわ。
でもお父さん、私あの家の人ら嫌いなんよ。
私とあの家の人間どっちとるん?」

もうあの男から親父を引き離すのは無理だった。
その頃あの男と親父は一心同体そのものみたいに見えたし、
親父はだいたいのまともな話が出来なくなっていた。

そう、だから私は金輪際のその日に、たぶん起きている騒動は少しよそに置いておいたとしても、ずっと本当は聞きたかったことを言葉にして親父にぶつけたんだった。
端的に聞きたかった。
親父、私のこと大事だって思ってくれてる?
訳の分からん他人より、もらえるかもらえないか分からんお金より、私のこと選んでくれる?
親父がどんだけダメだって、構わず飛んで帰ってきた、私のこと。


そもそも世間で言われている詐欺やら洗脳やらというやつは
どうしてそんなことに・・と他人から見れば思うものだが
もう少し踏み込んで当事者側から事件の全貌を見るにつけ、
なんて巧妙な罠なんだ、これは毒牙にかかると自分も他人ごとではないぞ
と思うようなロジックが隠されているから無くならないんだと思う。
しかし親父が引っかかったそれは格別にレベルが低かった。
とにかく親父は、周りの誰からも評判の悪い、最後は街中からのけ者にされていたようなたった一人の男の言うことを、なんの根拠も証拠もなく盲信していただけなのだから。


ここからはしばし、親父が「兄貴」と読んで愛しに愛したその男の来歴を紹介させていただきたい。
そしてその男や私の親父の話をする時、私の生まれ育った地域の忌まわしい特殊な事情をも、説明が必要だと思う。
持って生まれたその呪いを解く方法はもうたくさんあったのに、あの世まで持っていった親父。


ある特殊な地域があった。(そういった地域は全国いろいろな地域にあった。)
その地域では人々に結婚の自由や職業選択の自由、居住地の選択の自由が許されていなかった。
その各各の地域で、差別や不平等にいよいよ激怒した人々は、
一斉に国に対する差別撤廃運動を起こす。
国が困惑するほどの熱を帯び、とどまることを知らないこの運動を無視できなくなった「うえのひと」は、こういった地域に助成を設定することになった。
差別や不平等からくる貧しさの、手っ取り早い解消方法だ。
多額のお金と、優遇措置。
貧しい地域にお金が降ってくる。貧しさから、学ぶこともままならなかった人たちの所へ。
とても安易な解決方法だったと思う。

それでも、その助成による既得権益を長い時間かけて正しく均等に振り分け、
それを得ることが決してハッピーエンドではないと時には自制をして地域の呪い浄化に努めた地域もあったと聞く。
私の生まれ育った地域は、私の知る限りそうではなかったといっていいと思う。

ところで親父が人生をかけて慕った男の名前は、坂井邦彦と言って、坂井光子はその男の妻だった女だ。
その特殊な地域で、差別撤廃運動の長をやっている人物の一人息子かつドラ息子だった坂井は、若い頃から薬物中毒で何度も刑務所に入れられていたらしい。
小指を失いながらやくざを辞めた後は、私の育ったその街に帰ってきたが、当然職の当てはない。
けれどもその男はいきなり市の職員となる。
そうしてそんなことができたかと言えば、あの「差別撤廃運動に対する国の助成」の一つ、
「特殊な地域の人間を市の職員になりやすくする枠」というものが作られていたからだった。
実は親父もその枠で一時市の職員だったけど、坂井がその職場に居づらくなって仕事を辞める時に親父も一緒に辞めている。


「お姉さん、お父様お手洗いから帰ってこられました。あのカーテンの向こうのベッドです。」

前回の親父の入院の書類で坂井の嫁・光子の名前を見た瞬間、
私の心は一瞬であの日に飛んでいた。

私と3億(もらえない)、どっちが大事?
坂井たちと、私どっちが大事?

あの日の親父が忘れられない。
今目の前にいるがりがりのこの男はあの日、
実の娘に他人よりも金よりも、私を、家族を選んでくれと懇願されて
何も言わずに家を出て、坂井の家に直行した。

そのまま一晩親父は帰ってこなかった、
私は本当に親父に捨てられたんだと実感して、坂井に騙されて親父が建てた家の、祖母の仏間の前でひとしきり泣いた。

親父はアル中だったのでしつけと称してしばしばひどく殴られていたが、そんな幼少期でも1度も感じたことのない、心の痛みが酷くて泣いた。


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