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嫌われたくないと思う限り

ナメられる・避けられる・嫌われる。

とにかく、好かれることはありません。
嫌われたくないは、「みんなから好かれたい」の裏返しです。
相手の期待に応えられる完璧な人間に、
さらに、搾取する人間の期待にも応えられなければならない。そのような義務感を自ら背負い、自己犠牲という無償奉仕をするのです。

この思考を持つ人は、人間関係を上下で決めている。わたしはそう考えてます。

なぜなら、これは以前のわたしです。
上下で決めるということは、自分より上と見る人には気を遣うけど、下と見る人には無碍に扱うということ。

つまり、嫌われたくないの真実は、自分より上の人には嫌われたくない。
これはかなり歪んだ思考です。

言い換えれば、自分にとって大切な人がいないということです。こうなったのは、それまでの自分が大切にされたという経験がなかったからです。

自分を評価することなくダメ出しという攻撃を繰り返す家庭。自分の能力をほとんど活かせない職場。
とにかく、自分に相応しいと思える環境にいたことが、これまで一度もなかったのです。
(ただ、以前の職場には大切にしてくれる人が2人いました)

自分中心すぎる親元で育ったわたしも同じように自分中心すぎた。
しかし、こう言語化できるということは、健全な環境に移ったことの証。
やはり環境次第で人は変わります。

いまはそのような考えも消え、精神的にも安定した日々。まだ実家にはいますが、境界線をしっかり張って自分を守ってます。

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