彼らは毎日同じ席で

大学には食堂っつーもんが大抵ある。食堂って言ったって、こちとら単科大学でございますから、飯を食う以外の用途にもいろいろ使われるわけです。何かしらのミーティング、雑談、作業場所。

六人掛けのテーブルがおおよそ75個。壁際のボックス席が10個。もう反対の壁際には丸テーブルが10個。普通の食堂のサイズがどのくらいかは知らないが決して狭くはないはず。

平日のある日の昼はすべての席が埋まったりするが、授業が行われている時間は割とすっからかんだ。

自意識の強い人は奥の方の席で、人に顔を見られないような向きで座っている。私はそういう人の性質も持ち合わせている。ご飯をもって席に向かうとき、わざわざ人に顔が見られる向きでは座らない。

手前側からしかその食堂には出入りできないので、奥川はやはり陽キャがずっと居座っているか、一人でずっとパソコンをいじっている人がいるか。

私は授業中とか、普通に過ごしていたら見かけたことのないような奴らが食堂にはたくさんいるから、あんまり食堂は好きではない。大学生が顕著に表れる場所だと思うから。

その中で私が気になっているのは、毎日のように同じ席に座る人達だ。

例えば、いつも手前の席に座っているダンス部の人たち。いっつも丸テーブルに座って背もたれに全体重を預けている。意識が高そうな、だけれどおしゃれではない人たち。ボックス席には、だいたい勉強をやってなさそうな人たち。テスト前になると、ギャーギャー騒いで群れ始める。柱の近くにあるコンセントを使うためにいっつも同じ席に座っている人たち。

別に、他の場所でもいいのだろう。この各々が集まってる場所に必然性はないんでしょう。でもちょっと引っかかる。

席にも、それなりの価値の差があるだろう。コンセントがある席とないせき。出口から近い、遠い。人から見られにくい、風通しがいい。

それを大人数という力を使ってなんとなーく独占しているように思える。早い者勝ちとかはわかる。私だって席にこだわりがあるわけじゃない。だけど、固定の居場所を公共の場所で作ってしまう行為に、ちょっと辟易してしまう。

いっつも同じ席に座っている人たちは、なんだか誇らしげだ。それだけで自分の居場所、物理的にも精神的にも。彼らは、自分の部室を公共の場所に作っているのだ。友達の家を、食堂に作っているのだ。それは腹立たしいかもしれねぇなぁ。

自分の心の狭さが理由になってそうだなぁって思った。

いや!!!!でもさ、、、、食堂で、どこで飯食えばいいかわかんなくて、ちょっと悲しくなったりするじゃん。友達が飯を食っていて、それに近づけなくて、ギリギリ気づかれないような位置で飯食ったりするじゃん。それを彼らはしていない!固定の席なんてものを作っているからだ。

いっつも同じ席にいるあいつらは、これからも同じ感じで生きていけ。そのくせ、誰かと誰かが仲悪いとかでぎすぎすしてしまえ。あと普通に!!!!!コンセント独占はうざい気がする。だーーーってまじで誰かしらいるんだもん。朝から夜まで。

これから、一人飯軍団を、各々作り上げて、六人掛けのテーブルに互い違いに座ろう。すべてのテーブルに互い違いに座って、三人以上のまとまりを消滅させてしまおう。これで彼らもわかってくれるはずだ。

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