音楽をやりたい。

音楽をやりたい。そう思って何かを始めることもなく、幾年が過ぎました。今やっていることといえば、オナニーと目の前の課題を消費することだけ。そんなことをしたくて私は大学に進学したわけじゃあありません。じゃあ何がしたかったって言われたら、それは音楽でしょう。自分の精神を胸の内を、私だけのものにせず、誰でも咀嚼できるような形で放出する。それがしたかったんでしょう。自分を慰めるための音楽がしたかったんでしょう。なんですか今の体たらくは。こうやって音楽が出来ないから、日記みたいなものを調子乗ってつけちゃって。どうせ私の日本語野はそこが知れているから、面白い文章なんて書けるわけがないのに、見せかけのいいねに期限をよくして、駄文を書き続ける。私は浅い人間が嫌いだと常々自分に、他人に言い聞かせているが、それは自分自身が一番浅い人間であるからだ。その浅さを自分にも皆にも気づかせないために、そうやって流布して、逃げ場を亡くしている。いや、逃げ場を亡くしているってのも嘘だな。逃げ場を亡くしているように見せかけて、こうやって今文章にしているように逃げ場を残している。こんな人間が私のかっこいいと思っていた人間像に近づけるのだろうか。誰かがかっこいいとか、共感するとか思ってくれるのだろうか。何もやっていないのに悩むなって話。

自分に対する愚痴なんてあふれるほどある。私は自分が嫌いだ。でも好きだ。嫌いだけど好きだ。嫌いなところまで、人間らしくて好きだとか言い出してしまう。もっと自分には強いしんを尖ったしんを持っていてほしいのに、人にやさしくするだけで、心は充足する。そんなしょうもない面白くもない人間なのに。そんな人間なのに、

人を愛することが出来ているのだろうか。自分のありとあらゆる感情に対して懐疑的だ。愛なんてわかんないし、嫌いだってわかんない。一過性の勘定だけが信じられる。例えば、承認欲求だったり、モテたいだったり。そういう面白みのない、簡単な人間らしさで満足しがちだ。よくなーーーい。良くないって何が良くないんだ。うっせばか。殺すぞ。

私は私にどうしてほしいんだ。分からない。一応の人生の目標として掲げているのは、楽しく生きようってものだ。それはなぜ掲げたかというと、楽しいってのはつらくないからだ。つらくなりたくないがために、楽しいを求めてるだけだ。つらいことだって楽しいに思い込んで無理くり視点を変えて笑うようにしてる。これは素敵じゃねー!!!!!今日の駄文の中では一番いいね。マックス良いね。が出ました。マックス良いね。

どういう音楽がやりたいかっつったら、こういう音楽がやりたい。悩んで悩んで楽しい音楽。仲間がいたらもっといいけど、なかまほしいなぁ。私と音楽やろうよ。どうしようもなくドンづまった人生でも笑えるようにさ。

おんがくいいよねーーーーーーーーーーーー。

あ!!!いいたかったこと思い出した。

私の最低で、最悪で、最高の理想。

それはね、他人の趣味を馬鹿にするために、自分の創作物をつくりたいんだ。

それやろう。

サヨウナラ。



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