後輩

なんとなんと、一年生という輝かしい輝きがなくなっちまったんだぜ。もう、甘んじて無知をさらけ出すことは許されないんだぜ。いや許されるだろうけども、ちょっくらそういう立場に寄っちゃうのは確実だよね。

ほんっとにどうでもいいことなんだけど、うちの大学では後輩の意味がかなーり曲解されてる気がする。なんだか引っかかるのでゆっくり考えてぼろくそに言おう。

まず、私の大学はTwitterでの交流が盛んだ。Twitterを主軸に大学生活が回っている人が割といる。まあ、大多数の#春から~~大学とツイートしている彼らはもうとっくに撤退していくのだけれど、今はまだTwitterコミュニケーション全盛。私~~という名前でTwitterをやっております。その一言だけでコミュニケーションが成立するし、実際に会えたっていう感動で、なんだか幸せな気分になれちゃうわけでさみしさがまぎれるわけで。

そこに対してはまあなんとも思わないんですよ。少し前のオタク界隈みたいでかわいいじゃないですか。

ですがそこに先輩が加入するんですよ。んで介在役みたいなのをしているんです。説明が難しい。

マーその人たちは、引っ越してきたばかりの初対面の、まだ表面上しか見れていない”後輩”を車に乗っけて遠くのご飯屋さんとかに連れて行ってしまうわけですよ。大学のイロハを伝授して、後輩たちのつながりを助けて。

いいことをしているんだと思う。思惑なんてないくらい優しいって思っちゃうから。

でもそこのコミュニケーションにはどうしても、弱者強者が存在してしまっているわけで。優しさじゃない何かがそこにある気がしちゃうんだよ。

彼らの思惑がどうとか、何をおごったとかじゃなくてじゃあ今は、出会って数時間のただ年下ってだけの、ローカルな知識を知らないだけの、まったくもって素性を明かさなくても優しいと思ってくれる相手に対して、そういうことをするのはどうなのか

これって本当に先輩と後輩????健全?

たぶんね、こんな初対面のアイスブレイク的つまんねトークは世界にあふれてるんだろうけど、大学生の私たちが許してはいけない気がする。

まず、危険性がないということを証明するためにうわべだけの会話で探る時間はとっても大事だと思う。でも、その安全性の証明にすぐおごるっつーのは少々荒々しいし下品なんじゃないかって。

私もそのような商法に触れあったことはあるんですよ。しかしその人とはうわべの会話しかできないままだ。なんでだろう。

責任が伴わいない純粋な先輩を作れる場所は大学が最後だ。社会だとどうしても上司部下という責任と関係性がついてまとわりつくし、単純にかっこいいなこの人ってだけではうまくいかない気がする。

眠み

あの人たちのように僕がふるまったとして、本当の後輩ができるのかな。

歯を磨かなきゃ。

おしっこはもうした。

あとね今日は尿検査だったんすよ。あさにしっこをとって学校に行くわけです。

でも提出は1時ね。

用事があって九時には学校にいたんですよ。おしっこをもって。

んでしっこもって一年生に対してビラ配り。

つまりしっこを携帯しながら各々のグループの代表たる顔をしていたんです。

黒いスーツと黄色いしっこ。

あたしは健康的な尿だといいな


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