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言われたことば/受けとめてくことば ~それはINFJ由来?My回想録~<改訂版>

※INFJ祭り≪フェスタ≫協賛記事です。(勝手に命名)

自分に対して言われたことばで忘れられないものを考えた時に、INFJな部分に向けられたところがあるかなと思い記事にまとめて回想録・備忘録として
みようと思いました。何分、自分語りなので興味がありましたらお付き合いください。

~プロローグ~

noteに記事を上げるようになり半月経った。記事を書くにあたって「INFJ」とタイトルに入れることは、あまり予定してなかったが、INFJであることをスタート地点にしたことは、記事を探索するにしても、記事を綴るにしても継続の足がかりになっている。それは、note国を渡航する一つのパスポートのよう。

折しも、INFJ祭≪フェスタ≫が始まった今日。朝は張り切って、開幕の練り歩きに参加したので、夜は通りに面したホテルから夜店を見下ろしてのんびり過ごそうと思う。そう言えば、昼間の歩行者天国では、通り道のプランターにスキの花が沢山咲いていてお祭り感を演出していた、と思い出す。実行委員の彼も今は一息ついている頃だろうか。
 さて、持ち帰りの食事も済ませたし、PCに向かうとするか。否が応でも視界に入る鏡に映る自分。年齢とともにいくらか成長してこれただろうか、日中の緊張から解放されたゆるんだ顔をみながら、昔のことが思い出されてきた。

  * * * * * * * * * 

  (「〇〇〇〇」(呼びかけ名称)はその時々、相手によって変わり、
    同じことばではありません。掲載順=時系列順ではありません)

「〇〇〇〇ってガイジューナイゴーだね」
  →高校の時に初めて知った「外柔内剛」という言葉。ことばの意味を
   説明してくれながら、他人から見える私の一つの姿を教えてくれた友
  人。第一印象はよくなかったし、一番の友人ではなかったけど、心のこ
  とを一番話せて楽しかった。INFPだったのかなと振り返って思う。

「〇〇〇〇は、自分が一番えらいと思ってるの」
  →思春期の子どもにぶつけられた言葉。彼に最近聞いたところでは、
   今頃やってるの?と言いながら、前にやったの覚えてないと言いなが
   ら、その場でやってくれてISTPだった。結構きつく残ることばだが、
   私の心にさざ波を立てることなく、差し込んでくれたのが、まさに
   職人芸、巨匠のなせる業。妹(INFP)に「△△は人に興味ないよね」
   言わしめ自分の興味のままに生きている。よく笑って生きてるけど、
   その笑いはバリアか盾ではないの?と感じることがある。

「〇〇〇〇は、不器用だから…」
  
→「不器用」って理解してくれたのは、とても有難く、うれしかった。
   「…」の部分が聞きたかったけど、聞かない方がいいのかな。
    一番繊細だった時期、面倒くさい人だった時期に寄り添ってくれて
   感謝。今、自分を認めて前に進み続ける力にもなっていると思う。

「〇〇〇〇は、人が好きだから大丈夫」
  →
小学校一年の担任の先生が言っていたらしい。母も何かと心配して聞
   いたのだろう。あんまり話す子でなかった(母にとっては)から、
   母には辛い思いもさせてたのだろうなと今更ながら思う。

「〇〇〇〇って裏表あるよね」
  
→言われた方がズキューンと射貫かれたような気がした。言った人に対
   して私が何かをしたわけではなく(多分)他の人(Aさんとしとく) 
   とぎくしゃくしていた時に、Aさんからの話を聞いてか心配してか
   言った一言だと思う。Aさんとも直接(というか電話で)誤解を解い
   たと思うけど、その場の状況優先だったり、八方美人的なふるまいで
   誤解を招いてしまったかと思う。

他、「あの時……って声かけてくれたのうれしかった」と言われた時。自分が何気なく行っていたことだったのが、そう受け止められての驚きとうれしくなることあります。教えてくれて感謝です。

「みずくさい」って言って、転校する私に眉をしかめた顔をしながら、習い事の帰りによく行っていたとこ行ってアイス食べようとさそってくれた△△ちゃん。隣の小学校だからわざわざ言わなくてもいいかと、さらっと消えるつもりだったけど、人情を感じた瞬間。

転校の寄せ書きに「友だちはいいやつを選べ」と書いてくれた人がいる。もしかして私のこと好きだったかななど思いあがって思ったけど、周囲にどんな人がいるかの大切さ今とても感じる。

どれも、特別胸アツでもないし、美辞麗句、罵詈雑言でもないけど、その瞬間と合わせて心に残る忘れられないことばとなっている。

人生はまだ続くので、また新たに心に留めておきたいことばを受けることがあると思います。(他のことばが何も残らないというのではありません)年を経ってのふてぶてしさも身についていますが、若い時の繊細さとはまた違う形で、ことばにダメージを受ける弱くなっているところがあります。重い荷物をドサッと置く感じでなく、そっと手渡すようにことばを渡してくれると助かるーなんて思うこの頃です。

~エピローグ~

 …さて、執筆も終わったしホテルを引き上げようとするか。スーツケースに残っていた荷物を詰めてチェックアウトし外に出た。INFJ祭り≪フェスタ≫
のことを振り返ってみる。イベントの参加は思ったほどではなかったようだが、主催者との懇談会の参加は途切れることなく続いていた。一見の外国人のツアーバスも来て、パネリストの実家の土産物店はいつもと違う賑わいに
「昨日とかだったらゆっくり対応できたのにねぇ」と店番の老婆が口をこぼしていた。会場から遠く離れたエリアでは、「お祭りやってるの知ってる?」「私は人混み嫌だからいかない」と言いながら、若い吟遊詩人たちが
いつもと変わらずに創作に励んでいた。両親に手を繋がれながら歩いていた子どもが「INFJっていろんな人がいるんだね」って言ってたな。そうそう、
典型例なんてそうそういるものではないだろう。

 カチャッとドアノブを開けて自分の部屋へ帰宅した。久しぶりだから、ひんやりとした室内。まずお湯を沸かして珈琲を入れよう。土産菓子の箱も開けると、箱の裏には「また会えるといいですね」とメッセージがあった。そう人生一期一会。会った時を大事にしながら、またどこかで会えることを夢見てみるのもいい。
 さて、次はどこに旅行に行こうか。本棚にあるお気に入りのガイドブックに私は手を伸ばした。

 読みふけっていると、カタッと玄関で音がした。見に行くと、郵便受けに
タウン情報誌が入っていた。今回の旅行の前に行った違う地区のINFJ祭りのことが載っている。ゆっくり読んでみようと、私はカップの底に残っていたぬるくなった珈琲を一気に飲み干した。

 来場者結構来てたんだ。出口調査のアンケートの参加が少ないようだ。そう言えば、記帳所がちょっとわかりにくかったかも。開催期間は旅行割並みに長いようだから、今ごろとか臆せずに書きこんでくれたらいいよね。アンケートって数で出てくる情報もあるだろうし…
 とつぶやきながら、そのnoterはいつしか眠りに落ちていた。


R6.1.27  加筆修正しました。

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