過去と未来は現在に現れる

『人間ひとりひとり』という本を読んだ。
現象学的精神医学の立場から書かれた貴重な本である。

「火事が起きた時、人は家の外に逃げる。それは、それは外の方が安全だからだ」というようなことが書いてあった。

当たり前と言えば、あまりに当たり前の話である。
しかし、ここに深い意味がある。

火事に気づいた時、なぜ外の方が安全だと判断するかと言えば、これまでの経験(見聞きしたことを含めて)、つまり過去の経験から、今の状況の危険性を判断し、未来に向けて逃げるのである。

つまり、火事の家から逃げる人は過去に得た知識を現在に持ち込むと同時に、過去が未来に発した警告によって現在の行動を決めているのである。

だから、現在というのは絶えず過去と未来からのメッセージを受けて存在するということである。
現在だけが単独で存在することはありえない。

そう考えると、過去に注目して現在の状況を説明することの多い心理学には、必然的に未来に対しては何も語れないというのである。

母子分離不安や、トラウマによって現在の精神状態が左右されることを突き止めることは無駄だとは言わないが、「ああ、あのときの心の傷が原因ですね」と、医者やカウンセラーに言われたからといって、それを過去に戻ってやり直すことはできない。

確かに、その頃に起こったトラウマの原因にそれまでとは違った意味を付与することはできるだろう。
しかし、それは過去と自分の対話でしかない。
それが(アドラーが言うように)、これから生きていく上での「勇気づけ」になることはあるだろうが、未来における具体的な行動を示してくれるわけではない。


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