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次期生徒会長の5円玉

私がまだ若かったころの話です。
校内の研究授業を中学2年生(国語)を対象に、初めてやることになりました。
大規模校だったので、新任3年めくらいのときにようやく自分に回ってきたのです。

それまで、公式に人に見てもらう授業をする経験がなかったので、それなりに緊張はしていましたが、授業クラスが自分の学級だったこともあって比較的落ち着いて始められました。

導入から展開への移行もスムーズにいき、時間配分もほぼ完ぺきでした。
「われながら、いい感じだ」
と思いながらいよいよ最後のまとめの段階になりました。
そして、授業終了まで残り1分ほどとなりました。
後は私が、簡単に今日の授業のポイントについて一言添えるだけで授業は成功裡におわるはずでした。

ところが、その時、私は見てはいけないものを見てしまったのです。
最前列に座っていた男子生徒が何やら私のすぐ近くでごそごそ始め、机の中から、長い糸をくくり付けた五円玉を取り出し、
私に向かって(後ろの参観者から見えないように)ゆらゆらと振り子のように揺らし始めたのです。まるで催眠術師が催眠をかけるかのように。

私は、それを見て「ツボ」にはまってしまいました。
笑いが抑えきれなくなってしまったのです。
なんとか、最後のまとめの一言を言おうとするのですが、どうしても言葉になりません。
声を出すと、全部笑い声になってしまいそうで、
とにかく笑いを我慢することで精一杯でした。

とうとう、最後の言葉を言えないまま終業のチャイムがなってしまいました。

催眠術師の彼は、次期生徒会長でした。
勉強が大っ嫌いな彼は成績もほぼ最下位に近い状態でしたが、茶目っ気のある性格で人望は人一倍ありました。

多くの教師が彼の立候補に反対する中、学級担任で、生徒会担当でもあった私が周囲の声を押し切って立候補させ、見事に当選したのです。
私は、彼が生徒会長という大役を経験することで、大きく成長できると信じていました。

彼がなぜ、五円玉で私を笑わそうとしたのか。
大した理由はありませんでした。
面白いことをやってやろうという、ただそれだけのことです。
でも、私はその行動があまりにも彼らしくて笑ってしまったのです。

普通の教師なら激怒してもおかしくないところです。
でも私は、叱るなんてまったく考えませんでした。
多くの先生が見守るなか、いつもより緊張した空気が流れる研究授業で、ここまで大胆な行動ができる彼の子どもっぽさは、彼の最大の強みです。
ひょっとしたら、自分を推し続けてきた私への彼なりの「感謝」の表現だったのかもしれません。

何よりも、私は、私にそう思わせてくれたことをとても嬉しく思いました。

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