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学生を小バカにする講師さん

私の知っている人の中に、県の教育委員会から公立高校の校長になって、退職後、地元の私立大学の誘いを受けて講師として働いている人がいる。

先日、久しぶりにその人に会って一緒に食事をした。
酒も飲んだ。

その人は、終始自分の勤務する大学やそこに通う学生をバカにする発言を繰り返していた。
「あんなにレベルの低い学生しか来ないんだから、あんなのは大学とは言えない」と言うのである。

また、自分の思うような授業ができないため愚痴ばかりこぼしていた。
「小学校の算数から始めないとわからない学生までいる。そんな奴は大学なんか行く資格はない」

私は、そうした言葉を聞いていて「なんとみじめな人なんだろう」と思った。
曲がりなりにも長い間教職の身にあった者が、目の前の学生を否定するのはみっともないとしか言いようがない。

もし、その人が言う通り小学校の算数レベルでさえ十分理解していないのであれば、その学生をどうすればひきつけることができるかを真っ先に考えるべきだ。

結局、自分にそういう力量がない(意欲や使命感もない)ということを自白しているに過ぎない。


そういえば昔こんなことがあった。
県下の小中学校の校長が一堂に会する研修会で、ある小学校の校長が講師となって講演していた。
その講師は、自分の学校の保護者の意識が低すぎることを徹底的にぼやいていた。
「こんなにも親のレベルが低いから学校は苦労する」というわけである。

当時、私の娘はその小学校に通っていた。
つまり、私も「レベルの低い保護者」の一人だったのである。
自分の学校の保護者が聴いているかもしれないという想像力すらないのもひどい話だが、それよりも、クレームをつけてくる親を突き放してしまうその姿勢が情けなかった。
これが同業者なのかと思うとやるせない気持ちになった。

結局は、自分が十分に保護者対応ができない未熟な管理職ですと大っぴらに公表しているのと同じなのだが、そういうことにすら気づいていない。

先の大学講師の例でも同じだが、こういう人は自分の能力や器量を超えたものや、手に負えないものが現れたときに、自分を守ろうとして相手を徹底的に否定するのである。そうしないと、自分の弱さに目を向けなければならなくなるからだ。


こんな例もある。
某大学付属の中学校で実施された研究授業を見に行って、「あんな授業は付属だからできるんだ。普通の学校でできるはずがない」とぼやく人がいる。

実にもったいない話である。
せっかく授業を見せてもらったのだから、「高度な授業だけど、自分の学校でもこの部分は取り入れられるかもしれない」という視点で見るからこそ意味がある。
付属なんてできのいい生徒を集めているんだからできて当たり前だと思うのは、自分がその授業を生かす能力や意欲がないことを白状しているのと同じである。


自分は何もせず相手を否定することで自分を高めたような気になるというのは、人間誰しも多かれ少なかれ持っている弱さだろう。
でも、せめて自分にはそういう弱さがあるかもしれないと思う気持ちだけは持っていたいと思う。

特に、教育関係者にはその自覚が必要だと思う。


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