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円の一部を描く

私は、学校を変えたいと思っている。
不登校の根本的な原因は、現在の学校というシステムの制度疲労にある。

簡単に言うと、今の学校が社会と大きくずれているため、時代の先っぽにいる若者、特に中高生が、古くなった学校とどんどん変化している社会の狭間で、言葉にできない苦しみを抱えるようになったということだ。

学校というシステムが時代遅れの制度疲労を起こしている原因は、社会全体の価値観の変化にあると、私は思っているが、かと言って私たちに社会をすぐに変えるような力はない。

ならば、学校を変えた方が早い。
そもそも、社会の流れを変えることはほぼほぼ無理だ。
なぜなら、現代という地点は人類の長い長い歴史の上に立っているものであって、目の前の現象を少しくらいいじくりまわしたとしても、大きな流れは変わることはない。

それに、社会を変えるには多くの人の賛同が必要だ。
その多くの人を育てるような学校にすれば、結果的に社会は変わるかもしれない。

まあ、言うのは勝手だが、いったいお前に何ができるかと言われそうである。まさにそのとおりではある。

けれども、自分の残された人生の時間をどのように使うかと考えた時、一番自分が実現したい学校を訴え続けることはできる。

学校が子どもたちにとって意味のある変化を遂げた状態を一つの円だとすると、私が死ぬまでに書ける円は全体のほんの一部でしかないだろう。
でも、もし私が訴え続けたことに賛同する若い人が少しでも現れれば、私がこの世を去った後に、円の続きを描いてくれるかもしれない。

そんなことを最近、真剣に考えるようになった。

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