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第80話 藤かんな東京日記④〜さいたまスーパーアリーナで思い出す、ある男〜


 2023年9月21日、つばさ舞ちゃんが出演する『ゴッドタン マジ歌ライブ2023』を観にいった(第56話参照)。場所は”さいたまスーパーアリーナ”。東京に引っ越して初めての遠出だ。

クイーンのライブでの出会い

 さいたまスーパーアリーナ。この名前を聞くと、ある1人の男性を思い出す。2020年、映画『ボヘミアンラプソディ』が流行った頃だ。さいたまスーパーアリーナで、クイーンとアダムランバートが来日ライブをした。私はそれを大阪から観にいった。彼とはそこで出会った。
 ライブ終わり、隣の席に座っていた彼と「良かったですね」「かっこよかったですね」と自然と会話を交わし、その後も話が盛り上がった。
「よければ後日、ご飯に行きませんか?」
 さいたま新都心駅での別れ際、そう誘われた。しかし当時は大阪に住んでいたので「私、大阪住みなんです」と断った。だが彼は積極的だった。
「僕はしょっちゅう出張で⼤阪に⾏くし、今週も⼤阪に行きます。会いましょう」
 一週間後、大阪で会うことが決まった。

 約束の⽇、大阪で再会した。彼は40歳。お洒落でダンディな雰囲気を漂わせていた。
 大阪梅田で串カツを食べ、喫茶店でコーヒーを飲んだ。彼はよく喋る人だった。
「君とは初めて会った感じがしないわ。つい色々話しすぎてしまう」
 まあ会ったのは2回目だし、「初めて会った感じがしない」は8割の男性が使う常套句だ。
 そして次会う日の約束をして、22時半には解散した。

 2回目のデートも大阪だった。少し古びた中華料理屋さんに行った。彼は店の雰囲気が気に入ったらしく、「今度両親を連れてきたい」とはしゃいでいた。
 22時ごろ、この日もスマートに解散するのかと思いきや、別れ際彼が言った。「かんなさんとは、これからもっと良い関係になっていきたいと思ってるんだ。でもそのために、僕について知っておいてほしいことが3つある。その内容はラインで少しずつ伝えていくよ」
『これは厄介な人かもしれない』。私の直感が伝えた。知っておいてほしいことが3つもある。それに今ここで言おうとしない。彼に深入りするのは危険な気がしたが、私は馬鹿だ。危険なものにほど好奇心が湧いてくる。
 彼は改札を通る前に私を抱きしめ、何も言わずに去っていった。そんなキザなことしてやんと、さっさと知ってほしいことの3つを言いなはれ。

彼を受け入れた、私の脚

 翌日、予告通りラインが来た。

知っておいて欲しいこと。
1、失ったものについて
2、特異性癖
3、ランナーはSかMか

彼のラインより

 スマホを前に頭を抱えた。『失ったもの』って重すぎやしないか。「僕は愛する妻を失いました」や「僕には腎臓が⽚⽅ありません」だったら、どう反応したら良いのだ。
 ラインは続く。
<僕はもう⼥性に対しての欲求みたいなものを失いました。(以下⻑⽂)>
 はあ? なんだそれ。
<でもあなたに会って、消えてしまったロウソクに、少し⽕が灯ったような気がするよ>
 詩的な⽂章は嫌いではない。しかしだから何なのだ。私にどうしてほしいのだ。
 彼のラインは続く。
<次は2の特異性癖について話すね>
 既読だけつけて傾聴の姿勢をとった。するとしばらく返事が返ってこなくなる。
<会って間もないのに、いきなりこういう話をしたから引いたかな。東京と⼤阪の距離がそうさせるのかな。でもこれくらいで引かれるようなら仕⽅がない。おやすみ>
 おーい! 待て待て。「おやすみ」じゃないだろう。聞いてほしいなら⼀気に話せ。やはり私の直感は間違っていなかったのかもしれない。彼はおそらく面倒な人だ。

 翌⽇、再びラインが来た。「知ってほしいことの続きは、次、⼤阪に来たときに話す」と宣言された。正直もう彼には会いたくない。しかしきっぱり会いたくないですとも言えない。そして次会う⽇が決まった。

 1週間後、彼が大阪にやってきた。駅の改札で合流してすぐ、彼は私を抱きしめた。ここは欧米だったろうか。
 近くの居酒屋に入り、ラインの続きを聞いた。<2、特異性癖>について。この日、会うまでに色々な想像した。手足を縛るのが好きなのだろうか。首を絞めたくなるのだろうか。うんこを食べさせたくなるのだろうか。うんこだけは勘弁してほしい。
 しかし彼の特異性癖は、そのいずれでもなかった。
「僕は⼤切な⼈のことは、なんでも全て把握したいっていう気持ちが強いんだ」
 それだけだった。この内容はラインでは言えなかったのだろうか。彼は自意識が強いのかもしれない。
 次に<3、ランナーはSかMか>について。この話の内容はここに書くまでもない。何を言っているのかよく分からなかった。
 この日の夜、彼は一緒にホテルに泊まらないかと誘ってきた。
「君がどれだけ魅力的でも、僕は女性に対する欲求を失ってしまってるんだ。でももう少し一緒に過ごしたい」
 男女がホテルの一室で過ごして、何も起きないなんてあるのだろうか。彼をとことん追究したくなり、ホテルの誘いを受けた。
 シャワーを浴びて、私が先にベットに入り、彼が後からベットに入ってくる。彼は全裸だった。しかし下半身は本当に活気がなく、私に覆い被さることもなかった。そして何事もなく眠りについた。
 夜中、寒さで目が覚めた。被っていた布団がない。横に寝ていた彼もいない。ここはどこだったかなと天井を眺めていると、脚に違和感を感じた。
 彼は私の足を舐めていた。それも脛から下だけを丁寧に。ハッと息を呑んだが、動くことはできなかった。私が起きていると気づかせると、彼を傷つけてしまうと思ったから。朝まで寝ているフリをし続けた。

彼を傷つけ自分を傷つけた

 翌朝、何事もなかったように彼とホテルで別れた。
「より距離が縮まったような気がするよ」
 別れる前に抱きしめられたが、私の⼼は静かだった。自分は⼀体、何をしているのだろう。彼のことは好きなのだろうか。⾃意識過剰でナルシストな彼。歩くペースは合わせてくれないし、⾃分の話ばかりをする。ラインなんて最悪だ。<知っておいてほしいことの3つ>など大袈裟なことを言って、中身は大したことなかったじゃないか。毎日スタバのコーヒーの写真を送ってくるのも返事に困る。
 彼との関係をやめたい。答えははっきり分かっているのに、「また⼤阪に戻ってきます」の⼀⾔に、愛想よく「待ってます」なんて返事をしてしまう。私は馬鹿だ。大馬鹿者だ。
 家に帰ると激しい虚しさが襲ってきた。自分のしていることの不⽑さに吐き気がした。同時に彼に対する怒りがふつふつと湧いてきた。性欲くらい自分で何とかしなさいよ。やりたい放題、言いたい放題してんじゃないよ。

 数日後、彼との関係に終わりがやって来る。ラインをしていた時だった。
<君とはすごく距離が近づいているけれど、僕にはまだ解決しなければならない問題がある>
<なんですか?>
<ジェンダーレスについて>
 彼はきっと本当はすごくセックスがしたいのだろう。しかし下半身が反応しなくなってしまった。残念だが私にはどうにもできない。早く医者に診てもらってくれ。私の中で何かがはじけた。
<そういう答えのない話ばかりするのはやめてほしい。どうしてほしいのか分からない。聞いてほしいだけにしても、中途半端に会話を止めるのやめて。聞く相手に対して失礼やで。困ってるならとっとと病院行きいや>
 思っていることをぶちまけた。
<なんて稚拙な⾔い⽅するんだろうね。おやすみ>
 これが彼からの最後の返事だった。
 
 その夜、コンビニで大量の食料を買って、大量に食べて、一気に吐いた。
『己を大切にしない人間は、他人を大切にできない』
 便器の中を覗きながら、大きなため息をついた。

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