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第90話 藤かんな東京日記⑫〜新入社員、同期の女の子を泣かせた〜


 2024年4月1日、12時すぎ、私はオフィス街を歩いていた。この時間帯はいつも片手に財布を持ったビジネスマンや、ビジネスウーマンがたくさん歩いている。その中に、明らかに浮いている面々が見られた。学生でもないがまだ社会人でもない、そんな雰囲気の人たち。
 ああ、新入社員やな。
 今日から4月。ほとんどの会社では入社式が行われたのだろう。パリッとした地味な色のスーツに着られた20代が目立っていた。あるラーメン屋の前に、スーツ姿の男女が5人並んでいる。おそらく先輩社員2名と新入社員3名。彼らの年齢差は3、4歳程度だろうが、見るから雰囲気が違った。新入社員たちは、先輩にはない内側から弾けんばかりのエネルギーが感じられた。入社3、4年もすると、こんなに雰囲気が変わってしまうのか。きっと私もそうだったのだろう。

入社初日に覚えた違和感

 私は24歳で某化学メーカーに入社した。入社式初日、私たち新入社員は本社の広いホールに集められ、入社ガイダンスというものを受けた。私たちはこれから数ヶ月の新人研修を受ける。その研修担当をする枝野さんという男性社員が、壇上で研修内容の説明をしていた。
 同期は40名ほどいた。みんなは枝野さんの話を、熱心にメモしている。私はメモを取らず、彼の顔をじっと見つめていた。
 当時の私はメモを取らない主義だった。大学生の頃、先輩にこう言われたのがきっかけだ。
「メモって結局ほとんど見返さへんやん。講義中に熱心にノート取るのってポーズやと思うねん。ほんまに大事やと思ったことだけメモしないと、大事なこと、覚えられへんやん」
 その通りだと思った。だから入社ガイダンス中、私は一切メモを取らなかった。だって枝野さんが喋っていることは全て、事前に配布された資料に書いているのだから。
 ガイダンスが終わった。みんながホールを出る時、私は枝野さんに話しかけられた。
「君、変な子だよね」
 失礼にも程がある。「どういうことですか」と聞き返した。
「僕の顔、ずっと見てたじゃん。なんか怖かったよ」
 彼は笑っていた。コミュニケーションのつもりで言ったのだろうが、なんとも雑な距離の詰め方だ。
「あと、人の話聞いてる時は、メモを取ったほうがいいよ。話を熱心に聞いてるアピールになるからね」
 社会人はアピールのためにメモを取るのか。変なの。
「そうですか」と軽く返事をして、ホールを出た。

 翌日から新人研修が始まった。研修の1日目はほぼ座学。会社の方針や社会人の心得などを、私は相変わらずメモを足らずに聞いていた。だって内容は全て、配布された資料に書いているのだもの。
「何か質問はありますか」
 枝野さんは、要所要所で聞いてきた。私は一度も質問しなかった。
 この日の終わり、枝野さんはこう言った。
「今日、一度も質問しなかった人がたくさんいますよね。少なくとも1回は質問はするように心掛けてください。この会社では自主性と積極性が重要です。ちゃんと自分の意見を持って、発言できるようになりましょう」
 社会人は質問をするために人の話を聞くのか。変なの。
 そう思いながら白紙のメモ帳をカバンにしまった。

思春期の私は、無愛想な子だった

 しかし私のこの反抗心は、ある事件を招いた。
 研修カリキュラムの一環で、同期の4、5数名で班を作り、1つの課題に取り組む機会があった。私の班には、率先して話を進めてくれるリーダー的な女の子がいた。その子は満遍なく班員に意見を求めた。みんな何かしら発言していたが、私にはそれがみんな同じ意見に聞こえた。発言することに意味がある。みんなそう思っているようで不気味だった。リーダーの女の子はもちろん私にも意見を求めた。しかし私は「みんなと同じ意見です」と、特に意思表現をしなかった。だって特別異論はなかったんだもの。
 その日の夕方。課題のタイムリミットが迫ってきて、みんなに焦りと疲れが見え始めた頃。リーダー的な女の子が、私に向かって勢いよく言った。
「かんなちゃんは、なんでそんなに協力してくれへんの。言いたいことがあるなら、はっきり言いいやっ」
 彼女は怒っていた。そして机に突っ伏して泣いた。さすがにハッとした。入社早々、同期の女の子を泣かせてしまったのだ。

 思い返せば、昔から親戚によく「愛想良くしなさい」と言われていた。
 10代、私はどうやらあまり愛想の良くない子供だったらしい。祖母や叔母から、「気の強い子やね。もっと愛想良くしなさい」「女は愛嬌、可愛げやで」と言われていた。
 なんで面白くもない時に、笑わなあかんねん。
 私は逆にそう不貞腐れてしまう子供だった。
 高校生になり、反抗期だったのか、母とよく衝突した。勉強や部活で忙しく、家では黙って何かを考えることが多くなった。それは将来の不安だったり、恋愛の悩みだったりと色々だ。母からしたら、そんな無愛想な私が心配だったのだろう。
「あんたが何考えてるか、分からん時あるわ。外でもそんな機嫌悪くしてるんちゃうやろな」と諌められた。
 外では愛想良くしてるわ。なんで家におる時まで気ぃ遣わなあかんねん。
 反抗期の私は母に対して、そう不貞腐れていた。「人前では愛想良くしなければいけない」という意識はあった。しかしずっと腑に落ちなかった。なんで無理に笑わなあかんねん、なんで家の中でも顔色伺わなあかんねん。そう思ったまま思春期を過ごした。

エイトマン社長が笑わない理由

 社会人になり、同期の女の子を泣かせて初めて、「愛想悪いのは、ほんまにあかんねや!」と気付かされた。だからそれ以降、愛想良くすることに努めた。相手への印象が良くなるように一生懸命メモを取ったし、アホな質問してるなと思いながらも手をあげて質問した。
 しかし入社3年目くらいの頃、上司からこんなことを言われた。
「君はそれっぽいことを言うのが上手だよね。ちゃんと自分の頭で考えてから動きなさい」
 がっかりした。考え方が極端な私の性格が招いた指摘だったが、腑に落ちないながらも自分を変えようとした結果がこれだ。
 もう、一体どうしたらええねん。社会人って変なの!

 しかしそれでも、ぶつかり悩む日々を繰り返すうちに、少しずつ社会人としてのバランスが取れていったように思う。入社4年目を過ぎた頃には、愛想笑いも、社交辞令を言う術も身についていた。先輩や上司からの指摘を、程よく聞き流すこともできるようになった。だがそれと引き換えに、新入社員の頃の反抗心や、熱いエネルギーは無くなったのかもしれない。

 AV女優になると決め、初めてエイトマン社長に会った時、「この人は怖い」と感じた。後に社長はその理由をこう語った。
「俺と初めて会った時、怖かったって言うたやん。あれはきっと、俺が笑ってなかったからやと思う。俺はあの時、笑う必要がなかったもん。だって真剣やったから」
 あ、私と同じこと思ってる人、見つけた。
 そう感じた。そして、この人について行ってみようと思った。

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