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100倍、身につく国語力(80)帰国子女篇

❤小~高校生と,母親向けのレッスン
(1年間で国語力の悩みが解決できる!)

帰国子女編 ②
 
【帰国子女の言語感覚】
 (2) 帰国子女の言語指導上の問題
 
  帰国子女に対する一般的なイメージ
は、ネイティブのように英語がペラペラ
と話せるというのが圧倒的に多いのです。
それで、当時の帰国子女は「 ノン・ジャ
パ」(日本人にあらず)と称され、「純ジャ
パ」(純粋日本人)と区別されていた
くらい
です。これでは、たまったものではあり
ません。
 
 第一、外国といっても英語圏ばかりで
なく、海外駐在員は世界各国にいるわけ
で、生活習慣や考え方、文化、社会、経
済、政治などが全く異なっている国々で、
数年の異文化体験をした子どもたちなの
です。
 
 ですから、帰国子女の発想や価値観に
も大きく影響を及ぼしており、千差万別
なことは当然ではないでしょうか。しか
し、日本の画一的な国語教育では、日本
人なのに漢字や語句を知らないという
だけで、「 バカ者」扱いにされるのです
から、問題があると指摘せざるを得ない
のです。

ネットのイラストより転載

  英語が苦手な日本人の子どもは、漢字
ができない帰国子女を、ここぞとばかり
厄介者のように扱うことになります。
その傾向は、子どもだけでなく国語の
教師にも見られるから始末が悪いのです。  

 国語教師にとって漢字ができない生徒
は、「 純ジャパ」、「 ノン・ジャパ」
を問わず、「バカ者」というレッテルが
はられるのですから、この現実は悲しい
限りです。 日本の学校の国語教育では、
漢字を覚えるために幼少のころから、
膨大な時間が費やされることに、教師は
何の疑問も持たないという傾向がありま
す。

 ですから、学校で毎日のように漢字
テストがあり、生徒は機械的に丸暗記す
るしかありません。漢字文化の中国や
台湾でも、暗記一辺倒とならざるを得
ないので、より厳しい状況にあるのは
十分想像できます。 こういう指導体制
の中では、たとえ生徒が漢字の成り立
ちや機能的な構造に関心を持っても、
教師はそれを論理的に説明するという
努力をする時間的な余裕もないのです。

 つまり、教師は「とにかく憶えなさい」
と生徒に注意するのが、一般的な傾向に
なっています。  しかし、帰国子女の
ように短時間で日本の生徒の漢字力に追
いつくためには、計画的、論理的な指導
法が必要となります。例えば、女編の
文字を教える場合は、次のようにすれば
一度で頭に入っていきますが、どうで
しょうか。 

 【例】  
  女→ 姓(名)  → 娘→ 婚(姻) → 嫁→   
  婦(人) → 姑   

 つまり、「女性も女の人(母)」から生ま
れ、姓名が与えられ、一番いい年頃の娘
さんになり、いい頃合いを見て結婚をし、
相手の家に嫁(とつ)ぎ、家庭ではしっかり
箒(ほうき)を持ち、やがて年をとって
いく」
という時間的経過の中で、「ハイ、
これはまさに女の一生ですね」と説明
すれば、漢字嫌いの子でも、興味を持っ
て覚えようという気になります。  

ネットのイラストより転載


 また、次のような場合は、個々の漢字の
旁(つくり)の基本的な意味を知っている
と、面白さが倍増するようです。

 【例】 
  ① 莫 … 「 バク」は「 ~ナイ」       
      という否定の意味に            
      なる。  
  ② 幕… 観客に見られないよう     
      に「巾 ( キン、おおい)」     
      を垂らす。 
  ③ 慕う…相手に悟られないよう     
      に密かに想いを寄せる。 
  ④ 墓 … 土の中に見えなくなる     
       ように葬 (ほう)むられる。 
  ⑤ 砂漠 …水のない広漠たる「砂原」
       をさす。 
  ⑥ 暮れ…日が沈んで辺りが見え      
      なくなる。
  
 つまり、「莫」は「 草原の中に日が
没したさま」で、「 ナイ、ナカレ」の
否定を意味することになります
。多く
の人は昔懐かしい漢文の時間、これは
「ナカレ」という否定の意味だと知り、
不思議に思った記憶があるのではない
でしょうか。  

 ちなみに、「莫大小」と書いて、読み
方と意味はおわかりでしょうか。この
読みは「メリヤス」で、意味は「男性の
下着」のことです。これは明治時代に作
られた言葉で、伸び縮み自由の「フリー
サイズ」ということで、理にかなって
いて面白いですね。  上の例のような
考え方は、かつて東京大学の藤堂明保
博士が唱えられたような「 単語家族」
という発想
で、漢字は基本的な共通要素
をしっかり理解することが大切であると
提示されました。  

 もし国語教師が日本語を、第二言語と
しての指導法を身につけていれば、帰国
子女ばかりでなく日本の子どもたちも、
もっと漢字に興味を持つのではないで
しょうか。現在でも国語教師の対策が
改善されていないとすれば、問題がある
と思われます。

 私は、かつて国語教師でありながら、
他の多くの国語教師が帰国子女の言語
能力に対し、一刀両断のように「漢字が
できないのは日本人として最低だ」と
評価するのを、何度も目の当たりにして
忸怩(じくじ)たる思いをしてきました。

ネットのイラストより転載


 漢字ができない生徒を指導するのは、
国語教師の責務であるはずですが、文学
が好きだから国語教師になった人には、
どこか言語感覚に違和感があるのでは
ないでしょうか。そのために、例えば、
漢字を論理的に構造的に考えるという、
発想そのものが欠如していと思われるの
です。  

 それにも拘らず、国際化のといわれる
社会環境の中で、現在でも、相変わらず
国語教師の免許取得科目の中に、第二
言語として日本語を教える科目すらない
ようです。これだけ帰国子女や外国人の
子弟が激増している時代にも関わらず、
普通の学校に於いて、一向に改善の兆し
が見えないのは残念でなりません。  

 少し愚痴(ぐち)っぽくなりましたが、
要は帰国子女の言語教育が、国語教育の
原点に戻る一つの契機になるのではない
か、と考えているからです。

 ❤つまり、私は帰国子女の教育環境
  の改善が、普通の国語教育の改善
  にも波及していく可能性があると
   ことを提案したかったわけです。
 
アナミズ (2024.05.02)
 
 
 
 
100倍

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