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「どーでもいい」の変化

「どーでもいい」

結婚してしばらく経って夫の実家で食卓を囲んでいる時などに
私はこの言葉を聞くことがありました。
夫も、夫のお父さんお母さんも、兄弟たちもこの言葉を使います。

「あなたは〇〇をするのにA案とB案のどちらがいい?」
「どーでもいい(どっちでもいい)」

こんな流れの時に「どーでもいい」が出てくるのですが。
私はそれを聞いて、その言葉に
・投げやりな感じ
・やる気のなさ
を感じていて。なんか違和感やかすかにモヤモヤした感じがあったのです。
でも、会話している当人たちは何事もなかったようにしているので、
あぁ、この違和感は私がひとりで感じているものなんだな、と思って
「どういうつもりで”どーでもいい”って言ってるの?」なんてわざわざ尋ねる事もせずにいました。

話は変わって今日は、娘の部活の応援をしに外出していました。
試合の合間の待ち時間に、
おなかがすいたのでスーパーでおやつを買って戻ろうとした時に、
こんな言葉が浮かんできました。

ほんとは愛だの恋だの
スピリチュアルだの星だの
お金だの使命だの
どーでもいいのかもしれない。
いま、生きてる。
息をして今ココにいる。
それだけでもう充分なのかもしれない。
存在しているだけで
完璧なのかもしれない。


この文章が降ってきて、
そのあと胸がスッキリしたような
重いものが外れたような、そんな感覚がありました。

そして、よくよく読み返してみると、使っているではありませんか!
「どーでもいい」!!

なぜ?今これが繋がるの?!

ずっと違和感のあった「どーでもいい」は
物事に執着をせずに自分を生きるための言葉なのかもしれない。
地球を生きる時、一生懸命になればなるほど重たくなって執着してがんじがらめになりがちな私が「どーでもいい」を使ったら軽くなれる。
どっちにしたって、全部うまくいくんだから。
自力で何とかしようとするより、宇宙にお任せしたほうが楽だよ。
って教えてもらった気がした。

「どーでもいい」
うん。なかなかいいかもしれない。


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