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’音’が’意味のある言葉’に変わるとき

小さな子供が、両親に’aspettate!'(待って!)と叫んでいた。
   aspetta,aspetti,aspettiamo,aspettate,aspettiamo,,,
主語によって、この’待つ’(aspettareが原型)の命令形の選択肢が、この様に、たくさんある中で、この小さな女の子は、ちゃんと正しく選んで’お父さん、お母さん待って~’と、叫んでいるのよねぇ、、と友達が、ため息交じりに言う。

本当に私たち、イタリア語が解るようになるのかな、、初めの頃は、皆多かれ少なかれ、そんな不安を抱いている。

新聞を、見栄で買ってみても、、ほとんど何がなんだか。
解るのは写真やイラストだけ、風刺漫画の絵はともかく、その意味は全く理解できない。 これは世相を反映しているものが多いので、かなり難しい。

そんな時、ちいさな女の子が勇気をくれた。
’あんな小さな子でも、ちゃんと話せるんだから、大丈夫、私たちもきっといつか!’
後ろ向きになりがちな私たちは、気持ちを切り替えて、学びにまた向き合うことにする。

ある時、スーパーマーケットで買い物をした時、、もう何を言われたのかは忘れてしまったけれど、あ!この人の言ったことが、全部わかった!’と一緒に居た友達に思わず口走ったくらい、びっくりして感動した。

その時までは、単語がわかる事は出来ても、文章になると繋がらず、全体の意味が解らない、、そんな中にわたしは居たから。

イタリア語の抑揚ある’音’の羅列が、意味のある言葉、文章になった瞬間だった。
この感覚は、第二外国語を学んだ人ならきっと、分かると思う。



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