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努力なんてテメエらで勝手にしてくれ、俺は闇夜の宴に舞うばかり、ナウマンゾウでも深海魚でもない、全身ディルドの太陽系突破宣言、肛門愛の極北で熾天使の肋骨を舐めまくるアンチ「存在者」、

七月三日

西郷ナドも、本当に考えを言って、相手にする人が少なくて、真にさびしかったようです。奸物だと言われて、しばしば殺されかけた。山岡〔鉄舟〕や、〔大久保〕一扇位には、後には少し分ったようです。二人とも、熱する方で、切迫するものだから、早く死んでしまった。私だけは、ズルイものだから、こう長生きしてるよ。

『新訂 海舟座談』(巌本善治・編 勝部真長・校注 岩波書店)

午後十二時二四分。粉末抹茶、柿の種(チョコ)。いままでは「午前中のうちには離床しnoteを書き始める」が原則だったけど、これからは「午前中のうちには離床する」を原則としたい。きのうみたいに午前九時半なんかに起きると途中で眠くなる。一日が無駄に長い。やはり俺は「夜型」の体質だ。たまに早朝に起床してもぜんぜん気持ち良くないし、「おはよう人類」的な高揚感も得られない。水道水割りウイスキーを飲むとさいきんはユーチューブでビリー・ジョエルばかり聴いている。とくに「Just the Way You Are」が心に染みる。邦題は「素顔のまま」で。「clever conversation(気の利いた会話)」だけはよく聞き取れる。俺がよく再生する曲には広告は流れない。たぶん「公式」だろう。これはビリーの美意識なのか。おかげでリピート再生できる。もうやがて完全に脳内再生できるようになるだろう。とはいえ俺はしょせん「ベスト盤のファン」に過ぎない。学費は高く偏差値は低いある就職予備校にいたころ、何枚か彼のアルバムを持っていたけれど、そこまで繰り返し聞いた覚えはない。

ポール・B・プレシアド『カウンターセックス宣言』(藤本一勇・訳 法政大学出版局)を読む。
欧米人名のカタカナ表記法が訳者ごとに微妙に異なっているのが気になる。とくに「点」に関して。俺は「.」を混ぜてほしくないんだ。ぜんぶ「・」にしてほしいんだ。そのほうが入力しやすいし見た目もさっぱりしているから。たとえばEdward W. Saidはエドワード・W・サイードとしてほしい。でもいま手許にある平凡社の『オリエンタリズム』ではエドワード・W.サイードとなっている。「・」と「.」が混在しているとやはり何だか気持ちが悪い。こう感じるのはきっと俺だけじゃないはず。E.M.シオランだってE・M・シオランのほうがいい。「.」なんてもう使わないでくれ。頼むぜ。『カウンターセックス宣言』の成立過程は複雑で、著者についてはもっと複雑。一言でいうとスペイン生まれのトランス男性。出生時に割り当てられた「女性」という性に幼いころから違和感があったという。ディルドを論じた章は実にクレイジーでエキサイティングだった。彼の言うディルドは単なるペニスの模造品じゃない。彼は現代のペニス至上主義(チンポ特権)を巧妙かつ大胆に切り崩す。この本を読んで、「俺の股間にぶら下がっているこれも一つのディルドに過ぎない」ということをちゃんと認めることにした(もともと認める用意は出来ていたんだけどね)。あのバロー高尾店にいた学生アルバイターもディルドだったんだな。極めて特殊なディルド。全身ディルド。菩薩ディルド。救済者としてのディルド。だから「彼」がそこに立っているだけで俺は至高の快楽を得た。「救われた」と確信した。俺は「彼」に肛門を舐められた。俺はそこで死んだ。新生した。地獄は粉砕された。俺は「彼のディルド」つまり「ディルドのディルド」になった。俺もいずれ菩薩ディルドにならねばならぬ。衆生のために生きるディルドとならねばならぬ。現世で喘ぐ畜生どもよ、魂を勃起させろ。いますぐ勃起させろ。この死に損ないのフニャチン野郎ども。さあ昼食ですよ。今日も図書館かな。そのあとATMで二千円下ろして鶏胸肉でも買いたい。さくやゲンキーで500円分のお買い物券を使ってトリスクラシックを買った。二三日は酒には困らないだろう。アンパンマンの中にはアンなんかないんだ。カラッポなんだよ。君の頭や未来と同じように、カラッポなんだ。カラッポだから、そこに救いもある。あああああ、存在論的ハゲ。めめしいだけが人生だ。それいけ、へっぽこ丸。

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