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自惚れんな、お前ごときの書くものなんか、誰も真剣には読んでない、あるいは男子のマッシュヘアの平凡な可愛らしさについて、

六月九日

子供のときに文字中毒になり、それ以来、五十二歳の今日まで、どれくらいの数の本を読んできたことか。二日酔いや何かで食事をぬくことはあるけれど、本を読まない日は一日としてないのだから、これまでにした食事の数と読んだ本の数をくらべてみると・・・・・・などと奇妙なことをときどき考えることがある。読むことと書くことだけに没頭して二十年以上にもなってくると、第一頁をチラと一瞥しただけで何となくこれはよさそうだとか、マズそうだとか、カンがはたらくのである。第一頁の文字の行列を見ただけで全体が何となくわかるようになり、そして読み終ってみると、ときに例外はあるけれど、まずまずまちがっていなかったとわかる。

開高健『生物としての静物』(集英社)

午前十一時十五分。玄米緑茶、湖池屋プライドポテト。頭にサザンが流れている。サザンなら別にいいわ。ドンキの店内音楽よりはいい。この「日記」をあと何日書いたら俺は死ぬのだろう。ところでnoteってなんで自分にもリアクションできるようになってるのかしら。自分の書いたものに「スキ」なんて恥ずかし過ぎるじゃん。まあ俺クラスになると迷わずに自分の記事にも「スキ」するんだけど。だいたい俺が読まなかったら誰がこんな不毛なクズ日記を読むんだよ。可哀そうだろ。note書いてる奴らってほとんどが「俺か俺以外か」の構えだからね。どんな詰まんねえこと書いてる奴も基本ローランド・モードなのよ。ああこわいこわい。自分の自惚れには我慢できても他人の自惚れには我慢できないわ。
このごろ毎日三時間以上は歩いているからハムストリングがつりやすい。こんごはプロウォーカーとしてストレッチは欠かせない。きのうも歩いたよ。主として犀川緑地公園。少憩のため座ったベンチの前に枝文字があった。

なにか重大なメッセージかも知れない、

ヘタな小説を読むより男子ウォッチングをするほうがずっと楽しい。「マッシュヘア」の男子がある時期から増殖したわね(あとリュックにぬいぐるみをぶらさげている男子も)。流行ってのはいつも変なもの。どうでもいいことは流行に従い重大なことは道徳に従い芸術のことは自分に従う、なんて言ったのは確か小津安二郎だったかしら。近所に大学や高校が多いからあの量産型の髪型を見ない日はないわよ。私はけっこうああいう髪型は好き。とくに綺麗な襟足とか。なんか可愛らしいじゃない。「男」と「男の子」の中間的存在って感じがして。フェミニンな幼形成熟系男子がもっとたくさん増えればいいと思うわ。大人の男って俺俺していてなんか怖いから。不潔だから。男はせめて見た目だけでも人畜無害そうであってほしいわ。なんなら死ぬまで「男の子」でいてもいいのよ。「夢見る永遠の少年」って素敵じゃないの。結婚とも子作りとも無縁の男って素敵じゃないの。成熟拒否は「倫理的」でさえあるわ。
そろそろ昼飯。さくや半額で買ったホウレン草を炒める。きょうも午後から歩こうかな。雨降りの可能性が無いわけではないんだけどそんなのかんけーねえ。アザミ嬢のララバイは私だ。心から好きだよピーナッツ。マンピーのGスポットに置き忘れた俺のヤクルトペニス。どよめきのアムステルダム。

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