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耽美的頽落、絶望的ワガママ教典、

二月一日

「でもそんな手段では、なかなか成功までは大へんよ」とクレアウィルが言いました、「一挙に人口を軽減させるためには、もっと迅速な手段を選ぶ必要があるわ。たとえば戦争とか、饑饉とか、ペストとか」
「最初の手段は確実な効果がある」とサン・フォンが言いました、「いずれわしらは戦争をはじめるつもりだよ。したが、最後のはいけない、わしらがペストの最初の犠牲者になったらかなわないからな。饑饉については、わしらが穀物をすっかり買い占めてしまえば、まずわしら自身が大儲けし、やがて人民どもも共食いを始めることになろうから、この意見は一考の余地がある。なによりも迅速で、確実で、わしらが自身が儲かるというのだから、結構な話だな・・・・・・」

マルキ・ド・サド『悪徳の栄え(上)』(澁澤龍彦・訳 河出書房新社)

午前9時11分。世界同時多発テロ。紅茶。きょうから図書館に行くつもりだったがきょうこのあと母親が来るらしいから行くのは明日からにしよう。いまの俺は甚だ出無精になっている。布団から出ようとするのにもいちいち全精力を傾けないといけない。なのに頭の調子は悪くない。哲学系の著述に専念しろということか。ただ人と会うのがしんどい。生きた凡庸人の行動ならびに発言の予測不可能性に恐怖を感じる。私はすべての他者のなかに「潜在的な迫害者」を見てしまう。私はひところ「人間の気配」から完全に隔離された部屋の中で美的妄想にばかり耽って一生を終えられるなら他に何も望まないと真剣に考えていた。私はときどき自分のことを没落貴族と見紛ってしまう。いずれにしても私の労働嫌いと人間嫌いは死ぬまで続くだろう。
どうしてか知らないが、いま岡本かの子全集が読みたい。筑摩から出てたかな。いま手元に一冊も彼女の本がない。あるのは瀬戸内晴美の『かの子繚乱』だけ。彼女はたいへん自己愛が強くワガママだ。そういう人間にしか俺は興味を持てない。生きている、と言えるのはそういう人間だけだ。およそ「生物界」とはワガママとワガママの凄絶なぶつかり合いではないだろうか。「ワガママはよくない」という超自我を肥大化させながら人は「社会人」になる。「納税者」になる。「one of them」になる。俺の「生の拡充」(大杉栄)を阻害したがる連中を俺はほんとうは全員殺さなければならない。俺の潜在的自由を過小に評価したがる奴らを俺は許さない。だから俺は瞬間瞬間に俺を殺し続ける。俺の宇宙跳躍を阻み続ける者たちを薙ぎ倒し続ける。岡本太郎の言わんとしていたことが最近になってようやくわかって来た。「世界」を破壊するためにはまずは「自己」を破壊しなければならない。「そんなところ」に安住していてはいけない。「人の道」を説きたがる偽生者どもを扼殺せよ。ここがロドスだここで跳べ。「いまここ」で無限の生拡充を経験しろ。「これから」では遅すぎる。いますぐ超脱しろ。いますぐだ。いますぐ出来ないことは永久に出来ない。この「いますぐ(即今)の認識」こそ禅の唯一の要諦だった。この途方もない性急さに俺は惚れた。いまも惚れている。愚鈍な屍になるな。栗本マーマレード。悪魔崇拝と不美人。菩薩の漂着死体。耳糞も移動する。アスファルトに咲く大陸移動説。

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