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燃えかす倫理審査委員会、人類皆兄弟、血で血を洗う皆兄弟、家族問題W、

五月十一日

キリスト教における遺骸信仰、遺品信仰というのはまったく、本当に信じがたいものである。それは磔刑流血の宗教なのであり、拷問、殺害が主役なのである。十字架にかけられ、手足を釘で打ち抜かれ、下から槍で脇腹を刺す、突く。キリスト教は本来的に肉体苦痛教なのだ。
私はヨーロッパに在って友人知人の家へ招かれることも少くないのだが、そういうときに、信仰篤い人々がである場合、もっともはげしい違和感に襲われるのは、彼ら夫婦の寝室の、大きなベッドの上に大抵はキリストの磔刑流血の十字架像が掲げてあることである。夫婦の性交をぼたぼたと血を流して死につつあるキリストが眺め下ろしている。・・・・・・

堀田善衞『スペイン断章(下)情熱の行方』(集英社)

午前十一時二三分。歯磨き。戦後すぐの混乱のなか、ボケた婆さんが行列をなしている人々につぎつぎ話しかけている夢をみる。その行列のなかには川内康範もいた。きょうはこのあと中断してあとから書くことになるかもしれない。できるだけ急いで書こう。

中込睦子・他編『現代家族のリアル(モデルなき時代の選択肢)』(ミネルヴァ書房)を読む。
ミネルヴァ書房の本を読むのはひさしぶりだ。ミネルヴァと聞くと、学生時代、『よくわかる法哲学・法思想』を一行一行線を引きながら熟読していた頃を思い出す。ジョン・ロールズとかロナルド・ドウォーキンとかロバート・ノージックとかいう名前はこの本で覚えた(名前だけで彼らの書いたものはほとんど読んでない)。とうじなぜか法哲学にはまってた。というか国際法にはまっていた。「普遍性」というものに心惹かれていたのかもしれない。今の俺は当時以上に「普遍性」に興味がある。と同時に懐疑的だ。「正義」なんて聞くと一歩も二歩も退いてしまう。俺はよく「倫理的」という言葉を使うけど、いったいこれが何を意味しうるのかについてはまだ十分に研究できていない。
本書は、孤独死、冠婚葬祭、遺影、墓、社会保障、住宅、「結婚しない若者」、少子高齢化と、扱っている題材は多い。葬式の変遷について語られた章はけっこう面白く読んだ。ただ全体的に個別事例の記述が多く、途中でややうんざりしてしまった。私でなかったらたぶん最後までは読まなかったと思う。私は最初から最後までいちおいうは目を通す珍しいタイプの読書人なのだ。私は家族という共同体の外で生きたいと願っているにもかかわらずそれに成功していない人間だ。少なくとも私はこんご「家庭を持つ」ということはないし、とうぜん子も持たない。常識人なので葬儀も墓も勿論いらない。ただこのまま年をとって無宿者にはなるのは嫌だ。誰でもいいから俺を食わせろ。それだけだ。狐の尻と辛子マヨネーズのどどんぱ。
備忘31000円。

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