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近代国家ってそもそも何なの

晦日。午前十時ごろ、母親がきて買い物。レジの行列はんぱなく疲労困憊。ウェルチのグレープフレーツジュースや辛子明太子など買う。
帰宅後、入浴。橋爪大三郎他の『おどろきの中国』読了。毛沢東と鄧小平の評伝がむしょうに読みたくなってきた。清の頃はまだ「中国人」というナショナル・アイデンティティはほとんどなかった。孫文の辛亥革命(一九一一~一九一二)のころでさえまだ「われわれ意識」は希薄だった。いったい「国民国家(ネイション・ステイト)」というものへの自明な帰属感はどんなプロセスで形成されるのだろうか。ベネディクト・アンダーソンが『想像の共同体』で提出した概念「プリント・キャピタリズム」(出版資本主義)だけではとてもじゅうぶんには説明できないだろう。そもそも近代国家とはなんなのかよく分からなくなってきた。いっぱんてきに近代国家とは、封建国家が崩れた後に現れた中央集権的国家ということらしい。でも今日の地球上に「存在している」とされている「近代国家」がすべてそんな「分かりやすい」経緯を経て来たわけではないですね。いまだ「近代国家」とは呼べない国家も多くあるだろうし、「国家以前」の状態にある領域だってあるだろう。「民族」「国民」「政府」などという均質的な既成概念によってこの地上の複雑無類の人間集団現象を分類・説明できるのだろうか。ユダヤ人とエクアドル人とカナダ人とを「同列に並置」していいのだろうか。何々人と分類されている人間集団のあいだにはいったいどんな共通点(内包)が見出されるのだろうか。「国家」や「人民」を巡るあらゆるカテゴライズにはある避けがたい政治的暴力が潜んではいないだろうか。

またふたたびとうとつだけど「国家」と「国」では概念上何が決定的に違うのか。政治学者や歴史学者はこの二つをちゃんと使い分けているのか。「国家」はつうじょうは英語で〈state〉あるいは〈nation〉と表せることが出来る。事典的には「一定の領土と国民と排他的な統治組織とをもつ政治共同体をいい、また一定の地域(領土)を基礎に固有の統治権によって統治される継続的な公組織的共同社会ともいうことができる」(百科事典マイペディア)。
「国」を表現するのにふさわしい英語は〈country〉で、これは地理的な側面に重点を置いたものらしい。歴史的にはだから国家よりも国のほうがはるかに古い。国民国家を国民国家たらしめるとされている三要素すなわち主権・領土・人民は、教科書的にいうなら一八世紀から一九世紀の西ヨーロッパで形成され二十世紀には世界的な動向になった(「世界史の窓」参照)。そのまえに主権国家という歴史概念についても詳しく研究しないといけないし、また、イギリスやフランスなど国王が絶対主権を持っていた西ヨーロッパ諸国がどんなふうに立憲君主制もしくは共和制に移行しついには議会制民主政治に至ったのか。それを仔細にやりだすともう埒が明かなくなる。にわか勉強会はこのへんでひとまず終わろう。

夕方四時ごろから七時間ほど仮眠。このごろ起床時間が夜間なのでいつの日記を書いているのか分からなくなってきた。ひさしぶりにフェイスブックでと近況報告。今年のベストブックを列挙してみる。「通読」した本はできるだけすべてノートに付けているので思い出すのに困ることはないが如何せん字が乱雑に過ぎて解読に苦労する。それにしてもこの一年もたくさんの好著に出あえた。書物との縁にはまったく恵まれている。七月からほぼまいにち通っている図書館との相性もすこぶる良い。石川県立図書館には足を向けて寝られません。来年は今年に倍して一層の本を読み、そして書き、思考の牙を磨いてゆきたい。

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