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<i am adam>タンクトップが似合う男に私はなりたい、奈々子の愛ビームあるいはサダムの肋骨認定学会についての覚え書き、

七月九日

私は絶望の亡者かミイラのような人間なのです。眼は持っていますが、いつでも内側に向けられているので、外界の物象があまりハッキリとは映じてこないのです。
しかし、まだ死にたくはありません。

辻潤『<辻潤著作集4>ですぺら どうすればいいのか?』(オリオン出版社)

午後十二時一分。紅茶、冷やしうどん。「ジジイに貸した金がなかなか返ってこない問題」はいちおう変なかたちで解決した。あまりにも変なかたちなのでここに書くことはできない。自力救済に頼ることにならなくてよかった。どっちみち俺は紳士だからそんなことしないけど。たかが金じゃん。たかが金。たかが金。たかが金。たかが金。たかが金。たかが金。たかが金。鷹が金。鷹が金。鷹が金。たかがきん。たかがきん。キンタマかゆい。フォートウィリアムは悪酔いしにくいかわりに良酔いもしにくいね。味は多角形的かつ凝縮的なので飽きない。美味しいとは言ってない。飽きないことと美味しいことは別だ。ウイスキーなんてだいたいマズいもんだ。マズいけど体のなかに入れ続けると次第にいい心持ちになってくる。何者でもない私が何者かになったかのような「錯覚」が得られる。「生きていてスミマセン」モードが「生きてやってんだぞコラ」モードに切り替わる。しみじみ飲めばしみじみと思い出だけが行き過ぎる。忘れてしまたいことやどうしようもない寂しさに包まれたとき男は酒を飲むのでしょう。ビールをくださいビールをください胸が焼ける。酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ酒が飲める飲めるぞ酒が飲めるぞ。梅雨はまだ明けそうもないね。図書館通いが続きそう。先週は閉館日以外すべて行った。そろそろ図書館疲れが出るころだ。好きで通っているくせに「疲れ」なんて言葉を使うべきじゃないとは思うけど、好きでも嫌いでも疲れるときは疲れるんだ。生きていることは体に悪い。俺ほど生きることに不向きな人間はそういない。というかそもそも俺は人間じゃない。人間じゃないのに人間のふりをしているから疲れるんだ。だから凡人にさえ俺はなれない。昨日正午ごろ、母親がきて、はま寿司で昼食をとり、西泉のドン・キホーテで買い物。ようやくダイソーでおろし器を買うことが出来た。さいきん料理でニンニクを使うことが多いんだ。鶏胸肉料理は俺に任せろ状態。電子レンジで温めてから皮を剥く人がいるがそれをするとニンニクの生命とも言えるあのドスの利いた辛味が失われてしまう。生のまま摺り下ろすんだ。男は黙って生ニンニクだ。

110円、

雨宮処凛『学校では教えてくれない生活保護(14歳の世渡り術)』(河出書房新社)を読む。
この著者のことはけっこう好きなので読んでみた。俺は14歳ではないけど目から鱗の情報がいっぱい。私もいずれ路頭に迷い生活保護を申請することになるかもしれないから今のうちに日本の福祉制度についてちゃんと勉強しておかねばなるまい。こんな可もなく不可もない優等生的文章も僕はちゃんと書ける。そういえば「左派系」(自称であれ他称であれ)の方たちってあまり「ベーシックインカム論」が好きじゃないですね。本書にもその種の話はほとんど出てこない。最初から最後まで「働きたいけど働けない生活困窮者」にばかり光が当てられている。オイラそんな人たちにこそ無限の距離を感じるんだけど。「ナショナルミニマム」についてはいまめっちゃ研究中なので、またいずれ詳しく書きたい。たぶん一つの長大な論考になると思う。ああ誰でもいいから俺を食わせろ。俺は将来のゴッホかも知れないんだぞ。無名時代の俺を食わせることで歴史に名前を残せばいい。あほらし。アホラッシー。今日のオイラは機嫌がいい。朝勃ちもハンパなかったもんな。さあ昼飯。麻婆豆腐つくるか。たしか冷蔵庫に絹ごし豆腐があったはず。ただいまそんな辛いもん食うと汗が出まくって肌がべとべとになってしまう。パスタでいいわ。スパゲッティをアルデンテに茹でるのにタイマーを使う男を俺は信用しない。吉野葛が欲しい。イラクのゴキブリを食いたい。
【備忘】11000円。8月1日。金沢信用金庫。

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