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練炭カー、けし、愚者は賢者が愚者から学ぶ以上のことを愚者から学ぶ、

四月二日

ところで、書物はうちに究めつくせぬものを蔵している間は、かならず生き続けるものである。ひとたび測りつくされるや、ただちに生命を失う。おなじ書物を五年後にふたたび読みなおしてみたまえ、それがいかに異なった相貌のもとに現れることか、実に驚くべきものがある。

D・H・ロレンス『現代人は愛しうるか』(福田恆存・訳 中央公論社)

午後十二時十一分。紅茶、栄養菓子。眠い。起床が遅れた。午前十時ごろには目覚めたんだけどウルトラセブンVS改造パンドンの動画とか見てたら二度寝したくなってきてだから二度寝したらその二度寝が思ったよりも長くなってしまった。きょうから出来れば図書館に行きたい。きのう深夜爺さんが二万円だけを返しに来た。金を落としてこれだけしか用意できなかったと見え透いた嘘を吐いたあと、のこりの二万四千円は次の年金支給日まで待ってくれという。ごくありふれた述懐なのかもしれないが、子供のころの俺の眼に映る「大人」というのはもっとずっとしっかりとした存在だった。私はわりと「平凡な家庭」で育った間抜けな子供だったからそう見えていた。じっさいこの年になってみてしばしば愕然とさせられる。世の中の「大人」の大半は「大人のふり」をすることにさえ成功していない。もちろん自分もそこに含めていい。しぶしぶだけど。僕はお金や時間にだらしない大人はそこまで気にならないが、思考が浅かったり視野が極端に狭かったり「大人なら知っているべきこと」をほとんど知らない大人を前にするとウンザリしてしまう。つまり勉強が出来ない人間ではなく勉強をしようとしない人間が嫌いみたいだ。教養がない人間ではなく教養を身に付けようとしない人間と言い換えてもいい。たぶん「そうはなりたくない」という気持ちが強すぎるからだろう。「非知性的な善人」と「知性的な悪人」のどちらになりたいかと問われれば迷わず後者を選ぶ。
昨夜さだまさしが監督したドキュメンタリー映画『長江』(1981年)をユーチューブで観た。1980年ごろの中国の様子を撮ったものだ。製作費がかさみにかさんで結果的にさだが金利も含み35億円もの借金を抱えたという話はよく知られている。彼のその後の驚異的なコンサート数は主としてその借金返済のためで、トークに磨きをかけたのも喉を傷めないためだったという。自己破産を選ばないで約三十年かけて少しずつ借金を返したことを彼は美談にしたがっているようだが、そういう語りは自己破産のスティグマを強化させるだけでまったくよくない。「自己破産したよ、文句あっか」くらいのふてぶてしさがあったほうがシンガーソングライターとしては魅力的だ。たかがカネがじゃないか。映画の内容については、ぜんぜん期待してなかっただけに、裏切られることもなく、わりと愉快に観ることが出来た。中国空軍による空撮もあるので近年では「資料」としても評価されているらしい。私は中国について書かれたものを読むたび、「群盲象を評す」といった徒労感を覚える。さだまさしの歌はそこそこ琴線には触れるものの、中島みゆきほど好きにはなれない。「狂気」に乏しいからかもしれない。彼の歌をきくたび、そのクソマジメな文学青年的気質をもうすこし抑制してくれたなら、と思ずにはいられない。もっともそれを抑制したさだまさしはもうすでにさだまさしではないのだが。お前を嫁にもらう前に言っておきたいことがある。俺の貯金残高はゼロだ。くりくりくり。

さて昼飯食うか。ハンバーグ温めるよ。今日はひねもすテトリスでもしたい気分だ。でも回復したんだから図書館にはちゃんと行こう。ペドロ・マルティネス。ニコラス刑事。

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