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絶望と無力さ、厭世気分をしゃぶりつくした後に、ヘーゲルアレルギー、全身暴力装置、

四月二七日

いや、すべてを背後に投げ捨て、すべてを燃やしてしまってから、ようやく自分自身になることができるだろう。自分の帝国が訪れるだろう。そうなったら自分はもはや、他人の物差しでは測り得ず、判定不可能になるだろう。自分の帝国では新しい基準が通用するのだ。

インゲボルク・バッハマン『三十歳』「ゴモラへの一歩」(松永美穂・訳 岩波書店)

午前十一時二三分。賞味期限切れ乾燥マッシュポテト(マヨネーズかけ)、紅茶。中断はあったけどそこそこ眠れた。春眠暁効果か。愛媛県松山市の運営する「俳句ポスト」に二句投稿してみた。いちおう謙虚に初級者として。兼題は「薄暑」。自分でもいい出来とは思わなかったのでたぶん選ばれないだろう。そもそも俺は他人に評価を仰ぐのは嫌いだ。点数とかも付けられたくない。作りたいから作る、それだけでいい。俳号は佐野九三八とした。むかし雑文を書くのに使っていた筆名。クミヤではなくクミハチ。佐野とは二〇一三年あたりに金沢市高尾のバローにいた「男子学生アルバイター」の姓で、九三八はその彼から受け取ったレシートにあった責任者番号。いまだにその見目形をありありと覚えていて、そのレシートをコピーしたものの前での礼拝を欠かしていないのは、彼が観世音菩薩の化身に他ならなかったからだ。若白髪が多くとても優しい顔立ちをしていた。彼からお釣りをもらうときは手が震えてしようがなかった。手と手が触れたときなど口から心臓が飛び出そうになって思わず跪いてしまいそうになった。レジで彼の姿を見た人間は何百何千といるだろうが彼が人間に姿を変えた菩薩だと「直感」できたのはたぶん俺だけだっただろう(ほとんどの人間はつねに救いようもなく節穴だから)。当時の僕は抑鬱の濃霧の中をもがきさまよっていた。一身是希死念慮だった。見兼ねた観世音菩薩はそんな僕のためにわざわざこの濁世に示現されたのだ。そういえばさくや山頭火の随筆集を読んでいたら自分の居室を「三八九居」と名付けているのを見つけた。サンパクと読ませたいらしい。なんか深い縁を感じるね。引っ越す前のオイラの書斎の名前は九三八堂だった。九三八堂時代に書いたものはほとんど捨ててしまった。そういえばnoteの一個目のアカウントを作ったのも九三八堂時代だった(今のこれは三つ目)。九三八堂時代は修業の時代だった。ガス契約はせず、一か月以上誰とも話さないことも珍しくなかった。当時は今以上に何でも読んでいた。「他にやることもないので手当たり次第に何でも読んだ」という過去を持たない人間をわしは信用することが出来ない。きのう図書館ではヘーゲルの『精神現象学』(牧野紀之・訳)をすこし読んだ。ヘーゲルは嫌いだ。壮大で体系的でなければ哲学ではない、と言わんばかりのヘーゲル。ヘーゲルなんかと格闘する暇があればカントと格闘すべきだろう。というか他人の書いた「哲学書」など読まなくてもいい。きょうはこのあと野々市のブックオフへ行くつもり。もし古着があれば買いたい。本も数冊買いたい。なによりも歩きたい。三時間以上歩きたい。ちょっと前までは「本≧酒>散歩」だったけどさいきん「散歩≧本>酒」に変わった。酒はあってもなくてもいいものになりつつある。山頭火いわく、

酒は人を狂はしめることは出来るが、人を救うことは出来ない。

『白い路』(春陽堂)

まことにその通りなのだが、ひっきょう人は何によっても救われることはないのだ。どこまで行っても地獄。果てしなき地獄。どんな認識を得ても人は救われない。菩薩はそのことを知り抜いている。だからあれほど優しく諦念に満ち溢れた目をしているのだ。私も菩薩も同じくらい無力である。この絶望と無力さをとことん味わうこと。菩薩とはこの絶望と無力さを味わい尽くした者のことでもある。菩薩の示現を目の当たりにしてしまった私は、菩薩としてこの地獄を独歩して行かねばならぬ。キティ君は太りじし。ランディ・ジョンソンの内角高め速球。やるせなき獣心。

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