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我流夢分析③ いまここにあるもの              

■無意識による夢と妄想の物語

ある日の夢から端を発して独り歩きを始めた妄想仕込みの物語。私の無意識に潜むアニマとアニムスを抱き込んで、物語は更に心の奥底に向かって深く潜ってゆく…。                

私とワタシは、同じ男性を好いてゆくなかで、同じ人を求める行為=二人が同一の存在なのでは、という認識を次第に深めてゆく。一旦、そう思い始めると、私とワタシは急速に惹かれ合い、抑え難い衝動に駆られるようになる。衝動のまま二人は統合を試み交じり合う。分かれていたものがひとつになる満ち足りた感覚。二人はひとつに統合された世界を甘受する。

しかし、充足は長くは続かない。満たされた後には、必ずふたつに裂かれる苦しみが二人を襲う。私は辛さから逃れるためにその苦しみの理由を考え始める。昔の私が置き去りにしてきたものを、ワタシは事も無げに持っている。その逆に、ワタシが無性に欲するものを、私は嬉々として所持している。

互いに無いものを渇望する欲求こそがその苦しみの原始であり、それを埋めるため互いを求めあう行為とは、つまるところ依存に他ならない、考え抜いた挙句、私はそのことを悟ってしまう。自分に無いものを求め、それを埋め合うだけの関係性は、脆弱な依存関係に過ぎず、それは一時の救済に過ぎない、ということ。そして、不健全な状態を長く続けることは二人にとり好ましくないという結論に至った。

自分に無いものを嘆いたり、欲するばかりではなく、二人がそれぞれ有している「いまここにあるもの」に気が付き、感謝をすること、それを大切に扱うことが何よりも重要なのではないだろうか。二人は互いを尊重しながら、それについて、慎重に言葉を選び、長いこと話し合った。そして、ワタシは彼の元へ帰り、私は元の生活に戻った。こうして、この物語も終わった。  
                

■我流夢分析 まとめ

ペルソナの元型を意識世界で纏う私は、社会に適応し、価値ある存在となるため、弱い自分から脱却し、強い自我をもって自立し、自分なりの有能さを示し発揮しなければこの社会の中で生きることが出来なかった。つまりは、自分のなかの男性性、アニムスを採択しなければならなかった。一方で、消極的かつ情緒的な女性性のアニマを受け入れることは許されず、決別し置き去りにしなければならなかった。そのアニマが、もう一方の「なれなかった私」であり、その私は、影(シャドウ)となって無意識世界の中でずっと生き続けていた。しかし、アニマは何故かこのタイミングで私の夢のなかにその姿を現した。           

このような女性像に浸っていたい願望が私のなかに密やかにあることを、この夢を通じて認知することができた。一種の金属疲労のように、これまで理性や理屈で懲り固め、武装をしてきた自分に、徐々にひずみが生じてきているのだろう。そして、アニムスの象徴である合理的価値観や義務、責任といったこれまで私が当然のように背負ってきたものを肩から下ろしてみたい、そのような心理が無意識で渦巻いている、そんな気がしている。                              

そもそも、夢の冒頭で突然にプロポーズをされる、という展開自体が、現状をリセットさせたい、ゲームチェンジしたい、という欲求の表れの証拠である。(リセットの手段として私は過去これを用いたのでそれは明白である)

私には、例えれば、喉に刺さった魚の小骨のような「心の引っかかり」がいくつかある。放置している限り、いずれ立ち行かなくなるであろうことはわかっている。前に進むためにはどこかで取捨選択をしなければならない。未来に対する推定とそこからの不安と葛藤。「唐突にプロポーズを受ける夢」こそ、この葛藤状態のリセットを安易に望んでいる私の幼児的願望の象徴に相違ない。甘ったれた自分に無意識はこうして啓示を与えるのだ。                                   

■「我流夢分析」=「我流アクティブ・イマジネーション」

夢の独り歩きから始まったこの物語は、「夢」という無意識からのメッセージを通して、いくつかの大切なことを私にそっと教えてくれている。これから自分はどう在るべきか、この先の未来をどう捉えるべきかという視点。未来の不安や焦燥に駆られて自身を見失うのではなく、いまここにあるものに目を向け、謙虚に感謝の気持ちを忘れないこと。いまここで自分に与えられた環境や人間関係と真摯に向き合った時、その延長線上に捉えるべき未来が立ち現れるということ。  

大変に長くなってしまったが、自分流の夢分析、夢の解釈を記してみた。先にも引用した山根久美子氏著、「自分を再生させるためのユング心理学入門」には、夢分析の手法に正解はなく、夢の当事者がその解釈にしっくりくること、納得できる意味づけがなされることが重要であると書いてあった。それを採用するならば、この夢分析は今の私に必要なメッセージを与えてくれたと思うし、その意味でこの夢の解釈は間違っていないと確信している。

ちなみに、今回の夢と妄想の共同作業は、「意識と無意識のイメージのキャッチボール」にあたり、ユング派心理分析家の老松克博氏が紹介される「アクティブ・イマジネーション」という心理分析の技法とも多少類似点があるのでは、と感じている。この心理分析技法も大変興味深いものであり、毎度の如く素人じみた見解にはなるけれどいずれ記事に挙げてみようと思う。

■いまここにあるもの

日々、繰り返される悲喜交々たち。どうにも胸がザワザワしてしまうそんなときは、無意識世界から浮かんできたこの言葉を呪文のように心の中で数回唱えてみる。すると不思議とザワつきが静かに収まっている。  

「いまここにあるものを大切にするということ」   
                                     

3回にわたる我流夢分析はこれにておしまい。                 
お目通しいただきありがとうございました。          


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