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この世にすべて置いてゆけ


私の夢はカラーです。細部にわたりくっきりクリアです。そのためまるで夢のなかにもうひとつの世界があるみたいに感じます。パラレルワールドって実は夢の世界のことなんじゃない?とすら思い込んでいるフシがあります。

現実世界でもあらゆることに意味づけをして、ああでもない、こうでもないと考える私は当然に夢の世界においてもいつもそんなことをしています。                  

先日、三途の川をわたる夢を見ました。ありふれた毎日の延長線上に普通にありそうで逆に「私、夢の中で渡っちゃったかも。」と目覚めてから思うほどでした。そうゆうわけで、もういっそ「私は三途の川をわたってきた」という認識にしました。    

そう思うと「三途の川」から結構いろいろなことがわかりました。いろいろと言っても2点だけです。なかなか面白かったのでこちらに紹介します。    

ひとつに川を渡る人達は全然おしゃれな恰好をしていません。ドレスコードを意識したスーツやワンピースを着ている紳士淑女の方は一人もいらっしゃいませんでした。おとなりさん家に回覧板を回しに来た、とかスーパーの特売日開店10分前に合わせてやって来た程度の装いです。じゃらじゃらと指輪やネックレス、高価な宝飾品の類を身に付けている人は一人もいません。川底は石がごろごろと転がっているためかハイヒールを履いている人もいません。みな履き古したスニーカーやベランダに置いているようなペタンコのサンダルです。川を渡るのに厳しい条件も無いようでこれはひと安心です。             

ふたつめに川を渡る人たちは全員手ぶらです。荷物やバッグを持っている人は誰もいません。みなポケットか手のひらに小銭を潜ませて通行券と引き換えます。ぷらっと川の渡り口までやってきちゃった、行列が出来ているから並んでみた、なんだかそんなライトな感じです。               

小学生の頃に図書館で見た「地獄の絵本」には、殺伐とした風情の河原がひろがり、川の手前で人々は石を積んでは崩れ積んでは崩れ、際限の無い苦しみを一生味わうというような絵柄がおどろおどろしく描かれておりました。それを想像しているとものすごい肩透かしをくらいます。               

これらより、川を渡るときは自分が所有する全てのものを置いてゆかなければならないのだということを発見しました。金品など一般的に値打ちがあるとされるもの、コレクションなどの物質的なもの、プライドや個性といったこれまでに培ってきた観念。そして最愛の人と共有した時間など個人的経験にまつわる大切な思い出も。これらすべてを全部すっかりとこの世に置いてゆくのです。

詳しく記せば、置いてゆく=捨てる、失くす、残すという意味では有りません。この世で起きた出来事や形成したモノは、全てこの世で消化するという意味に近いです。会いたい人には会う、言い残していることは吐き出す、やりたいことはやる、最善を尽くし全力を尽くす。この世のエネルギーはこの世で使い切る。余分な金品やコレクションは何かの形をとって還す、プライドや個性、大切な思い出も別の物質による化学反応によって異なる化合物を生み出す、土に埋めて分解させる、つまりはそうゆう建設的で循環的な意味合いです。                               

誰しもが有ることだと思いますが、私のなかにも長いこと口に出すことを躊躇い完全に封をしている事柄があります。こうしたモノたちも、何らかの消化、分解という形をとってこの世に置いてゆかなけれなばらないコトなのかなと夢を追想する中でふと浮かびました。            

私は自身の生活にこれといって特定の宗教の教えや思想、またはスピリチュアル的観念を取り入れてはいません。幼少期からの経験、他者からいただいた知見、読書を通じて得られたもの等から自分自身の指針を定め、しがない日常を送っているだけです。このような私ではありますが「三途の川を渡る夢」から想起したイメージ、わかったことは、結構、的を得た内容ではないかと思い、嘘とも現実ともつかない文章ですがざっくりまとめた次第です。                      

以上、お目通しをいただき有難うございました。                          


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