INTJの核 ②自律性
MBTIの16タイプには各タイプの決め手となる「核」といえる構成要素が存在するはずだ。その要素はタイプに記された4つの心理機能の配列から導き出され、そのタイプに象徴される特性を鮮やかにあぶりだすことであろう。
以下はINTJ自認の私が独断で考える「INTJの5つの構成要素」である。
①抽象性
②自律性
③固有性
④目標遂行性
⑤静謐と熱誠の葛藤と統合
今回は、②自律性を以下の副題を添えて考察をしてみたい。
INTJの核 ②自律性【自律と自己統御 そして矜持を持つこと】
端的に述べると「INTJの自律と自己統御」とは、ひとつに深い内省と洞察による産物、もうひとつはその時々に即した最適解を瞬時に叩き出せないことに対する防衛反応(生存戦略)だと私は捉えている。以下に詳細を述べる。
■自律とは何か
まず自律性について調べる。
なになに、つまりは自らの指針となる規範、ルール、信条、価値観を形づくり、それを軸に日々の判断、行動することか。確かにINTJを説明する文言として、独立心がある、責任感がある、他人を頼らない、一人で何でもこなす、といったワードがしばしば見受けられる。これらのワードからINTJには確固たる自分、外部により揺らぐことの無い強い自分、自信に満ちた態度等をセルフイメージに望む者も多いだろう。かく言う私も同様である。
■自律性の基底にあるもの
そしてINTJの自律性の源として「強い自我機能」が挙げられる。「自我」とは意識や行動のなかで日々自覚する「私」であり、「強い自我」を作り上げるためには、自分で打ち立てた「律」を自分に課し、いかなる状況においても揺らがない内的自己を築き上げるべく孤軍奮闘している姿といっても過言ではない。
更にINTJがなぜ強い自我機能を獲得できるのかと問われれば、以前の記事(INTJの核、①抽象性および③固有性)にも触れたが、Ni(内向直観)とFi(内向感情)による内側に向かう抽象思考と自身の価値観を尊重する態度、そして構造や仕組みを捉えることを特徴とするTe(外向思考)が多分に影響していると考える。
これら3つの心理機能の組み合わせが生み出す抽象性は「自分とは何か」「他者と自分との違いは何であるか」「世界、外部に対して自分はどう在るべきか」といった内容に惹きつけられやすい。機械の設計やシステムの構築、各種研究も広く抽象化、概念化すればつまるところ主題は同じであろう。このような内省や探求を進めると、たいてい世界の底が抜けて「生きるとは」「生命とは」「宇宙とは」という深淵なテーマに突きあたる。こういった思考、気付きのループを意識と無意識両面から展開するなかで独自性の高い固有の「律」が造り上げられてゆく。
そして自分が定めた「律」につき従いながら、その合理性や整合性、普遍性を精査してゆくのである。加えて、日常の具体行動へと落とし込み機能性や実践的であるかを評価することも重要であったりする。平たく言えば、Ni(着想、信念)をTe(客観材料、現実行動)で照らし合わせ「自律」の普遍性、運用能力をフィードバックしているのである。
従って、INTJが他者の助言・手助け、介入、干渉を好まぬ理由もこれに由来する。他者の力を借りては自ら構築した「律」(戦略やビジョン、アイデアも引っくるめ)の実体を適切に検証できなくなってしまう、更なるオリジナルメイドな改良を図れなくなってしまう、それがたまらなく嫌なのである。
また、INTJは完璧主義と言われるが実務面では完璧<完了が優勢であるように感じる。Teが補助機能にあるため「機能しなければ意味がない」「結果出してなんぼ」という観念が先行する。よって朝令暮改もあまり抵抗は無い。そこは真理や原理を尊び、齟齬や誤謬の無い論理に重きを置くTi(内向思考)とは大きく異なる点だと思われる。
そして、現実のあいだに祖語が生じれば自らの「律」を改訂し、より現実運用に即したものへと変容させる。INTJがシステムに対する改善意欲が高いのも他者のためもあろうが、実際のところは自己目的の側面がかなり強い。INTJが褒章や他者からの評価に興味を持たないのは内発的動機が起点にあるためである。
■INTJの「律」による「自己統御」
続いて、INTJの自律と自己統御との関係を考察したい。私は外界の事物に対して主体的に関われている感覚を「コントロール感」と呼んでおり、外界や事物を自ら操作、コントロール出来る環境に身を置くことを重要視している。例えば、仕事をするにしても自ら能動的に携わるのと他人からやらされていると感じて取り組むのとでは仕事の意味づけや仕上がり、仕事にまつわるストレス量において雲泥の差が生まれる。
私は何事にも意味をもって取り組みたいと願ってきたし、様々な事柄に意味を見出して肯定的に捉えるには何より「コントロール感」という感覚が必要であった。そんな折、noteでフォローをいただいている方から私の記事から「自己統御感」を強く感じるとのコメントをいただくことがあった。言われてみると、なるほど「自己統御」という言葉は自分でもしっくりとくる。
そこで「統御」という言葉をまたもや調べてみる。
軍隊、部隊の箇所を自己に置き換えれば、おおよそ「自己統御」の意味にあたるだろうか。自己(自我)も別個の独立した存在とみなしかねないINTJにおいては、上記の文章は「さもありなん」な説明である。
ところで、INTJは何故に自らの「律」をもって自己を統御することにここまで邁進してしまうのであろうか。その理由がふたつめの、「その時々に即した最適解(反応)を瞬時に叩き出せない」ことへの防衛反応にある。
■主機能Niと劣等機能Seの相補関係
INTJは主機能がNi(内向直観)で劣等機能は正反対の働きをもつSe(外向感覚)である。そのため、INTJはNiをかませて情報を知覚するためその反応はどうしても歪みやすい。加えてSeのコントロール不良が相俟って外部情報をストレートに知覚して即時最適反応を示すことが全くもって苦手だという特徴を有する。
現実世界を感覚的に乗りこなせないという認識は、遠い未来から5分後の未来まで、未知なるモノや様々な不確定要素。これら全般に対する不安、抵抗感へと至りやすい。そして、それを解消するためシュミレーションを繰り広げたり、反芻思考に陥ったり、果ては最悪の結末を妄想し実際に受けるダメージを相対的に減じさせる戦法までにも拡大しがちである。
上記のようなネガティブ戦略を全方位に張る一方でポジティブ戦略も同時展開をする。それが「自律による自己統御」作戦である。「自律」によって自らの思考、行動を規定し、自我が不安定になることを無意識で抑えるというわけだ。
INTJは自律的であることで安定、安心を得る。しかし、それが行き過ぎると頑固になって自分の殻に固くこもったり、目標やタスクをストイックに追い求め自分を異なる別の存在、別の機能に見立て自分自身と切り離してそれらをコントロールすることで達成しようとする。(例えばワーカホリックなど)
INTJの自律による自己統御とはそうゆう一種の危うい側面があるような気がしてならない。現実世界において、職務や役割、役回りといった外部的なものに引き寄せられ、無性に励んでしまうのも防衛反応としての自己統御の側面が少なくとも私にはある。裏を返せば、リアルな刺激、情報に常に脅威を抱いている。無意識ではそんなところなのかもしれない。
■自律と自己統御の果てに我は矜持を持つ
INTJの内面に存在する外界に対する脅威を溶解し、変容させるためには多くの経験を積むことが必要となる。ことわざにある「明日の風は明日吹く」「案ずるより産むが易し」が骨身に沁みた経験知となるまで繰り返しシュミレーション、反芻思考体験を重ね、内面と現実とに折り合いをつけてゆかなければならないのである。また、時には超楽観的で他責傾向、世俗的な人と程よく付き合うことも一考である。世の中には自分とは異なる考えの人がいるものだ、と視野を広げられることでINTJの客観性は保たれ、とかく偏りがちな思考を修正できる柔軟性も引き出されるようにもなる。
これまで記した事柄を整理すると「INTJの自律性」を次のように表現することができる。
INTJが自らの抽象思考により作り出したオリジナルの「自律」によって自己統御が促進される。その結果として自我基盤が安定する。そして、安定した自我のもとで様々な経験を積み重ね多様な価値を受け入れる。多様な経験、価値に裏打ちされた自分なりの「経験知」を育んでゆく。その経験知の集合こそがまさしく「真の矜持」であり、その矜持を胸に、より強くてしなやかな自己を自らの手で勇気をもって創造し続けてゆくのである。
ちなみに、矜持とは小さな我に固執した脆弱なプライドのことではない。快い経験も苦しい経験も全てをひっくるめて生成された「たおやかなプライド」である。
日々、葛藤や不安がつきまとう人生ではあるが、それらから生み出される価値観を自分を形づくる核としてこれからも大切にしてゆきたいと深く思った次第である。
自分のために書き進めるばかりの文章でしたが最後までお目通しをいただきどうもありがとうございます。
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